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(2008年1月19日 NO.155号)


◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」
其の九「江戸時代のエコ・・・のお話」



 私が宝塚を辞めた幾つかの理由の1つに、物や人に対する「感謝」の気持ちが、知らず知らずのうちに慣れになっていく怖さを感じたと言う事が有ります。タカラジェンヌというだけで、周りは理由も無くちやほやして呉れます。特にかの有名なベルばらブームの熱がまだ冷めやらぬ時期でしたので、音楽学校の一年目(予科生)の時からマスコミ等にも注目され、舞台にも立たないその頃から、青田買いのファンがいたりしました。思春期真っ只中の多感な時期、同期生でも特に地方出身の純真無垢な性格の持ち主は、音楽学校二年目(本科生)を迎えるとこの世界独特の影響を大きく受け外見も内面もまるで別人の様に変貌を遂げている者もいました。
 入団をすると今度はそれに加え、筋金入りの諸先輩方が大勢いる中、信じられないような出来事や言葉を見聞きするにつけ、ずーっと死ぬまでこの世界に居るのならまだしも、外の世界に出たときに果たして社会復帰出来るのだろうかと、ある時から強く不安に思い始めたのです。
 初舞台の頃、ファンの方から頂くお花やプレゼントやお手紙は本当に励みになり、大切に家まで持って帰り、花を一杯に飾った部屋で1つ1つ包みを開け、手紙を読み、返事を書いたりしたものですが、過ぎていく年月が経てば経つほど、第三者から見て人として当たり前のそんなことが、渦中の本人にはどんどん難しくなって来るのです。忙しくて時間が無いという事も大きな理由の1つでは有りますが、もっと大きな理由は「慣れ」と「傲慢」です。
 「初心忘るべからず」とは室町時代、能の創始者世阿弥が「風姿花伝書」(能の風姿を花にたとえ、「その風を得て、心より心に伝わる花なれば、風姿花伝と名づく」と、子どもの発達段階を踏まえた能の稽古の有りようを示した教育の書でもある)の中でといた言葉で、「初心にかえれ」「初めて事に当たる新鮮な感動を忘れるな」などと理解している人も多いと思いますが、本当の意味は「事に慣れ上達し始め、何か自信が出てきたときの自己満足を戒める」事だそうで、これは芸事と同じで常に謙虚でいなければ人としても又生長し得ないという深い言葉なのです。
 今現在も尚、日本舞踊という芸事の世界に身を置いてはおりますが、私にとって宝塚の世界とは異なり伝統芸能の世界は、自分自身と向き合う要素が大きく割合を占め、まだまだ謙虚さには程遠いのかも知れませんが、自分の人としての修行の足りなさを日々感じながら過ごしています。

 さて、前置きが長くなりましたが、私が日本舞踊を本格的に始め江戸時代に興味を持ち出したきっかけの1つになったのが、。石川英輔という作家の書いた一連の著書にあります。多くの作品を書かれてますが「大江戸神仙伝」のシリーズは特にお勧めです。主人公が現代社会から江戸時代にタイムスリップし、恋人の江戸芸者いな吉との恋物語を展開していくという内容で、とても面白くて続けさまに全部読みましたが、ただの恋愛小説ではなく話の中にさりげなく出てくる江戸時代の知恵や習慣の殆どをこのシリーズで知ったと云っても過言ではありません。

 例えば、(突然尾籠な話で恐縮です)日本は下水が無くて不衛生だったという印象が有りましたが、実はそうでは無く正確には、糞尿は全て下肥として買い取られたため下水を作る必要が無かったそうです。それもケチで食べ物を始末している商人の物は質が悪く、反対に女房を質に入れても初物を食べようなんていう、食べ物には糸目を付けず、宵越しの金は持たない身体が資本の職人の方の質が良いとか、面白可笑しく真実を伝えるこの物語には完全に嵌ってしまったのです。
 着物もそうです。庶民は絹の着物など中々身に着けられなかった様ですが、木綿の着物でも大切に大切に擦り切れるまで着回しされ、その後奇麗な所だけを使い帯や腰紐に仕立て直され、その後座布団になり、おしめになり、雑巾になり、細く切って縒り合わせ下駄の鼻緒にし、切れた鼻緒は焚付けに使われたそうです・・・・が、これで驚いていてはいけません。まだまだその先が有るのです。焚付けに使ったら灰になってしまってお終い・・・、と普通は思うのですが、江戸人の凄さはこの灰でさえも無駄にしなかった所なのです。何と灰も灰買人と呼ばれる商人が各戸の灰を買って回り、その灰は紺屋の藍染め用をはじめ、製紙、酒造、絹の精練、家具・建具の汚れ落としなど様々な用途に使われ、川越など江戸の周辺では灰市が立つ程だったそうです。
 完全に循環、リサイクルされていたのですね。江戸がその当時の世界でも類を見ないエコロジー都市と言われている所以がこれで納得です。これはもう、貧乏だったからという理由だけでは到底割り切ることの出来ない、素晴らしい英知と謙虚な生き様を感じずにはいられません。

 今朝自宅の書棚を何となく眺めていていたら、その石川英輔さんが書かれた~衝撃のシミュレーション~「2050年は江戸時代」という本の題名に目が留まりました。1998年に講談社文庫から発行されているのですが、その裏表紙には「21世紀、物質文明のつまづきから、日本は省エネルギー、完全リサイクルの江戸時代へと回帰していた。一日三時間半働けば暮らせる晴耕雨読の生活。必要なものは簡単につくれる自給自足社会。自然と共存共栄していた江戸の精神と豊かさ、楽しさをわかりやすく伝え、現代文明に警鐘を鳴らす衝撃の問題小説」と書かれています。昔から作家は未来を予言するような事を書く人が少なくないけど、まさに今この時代の事じゃあないの?殆ど内容を覚えていないのでもう一度読み直してみようと思います。今年が2008年ですから2050年といえば後42年後ですね・・・。生きてるかな~
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(2008年1月11日 NO.154号)




◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の八「温故知新・・・のお話」





 最近テレビを見ていると、気のせいか時期的なものなのか、古代文明の謎や歴史を探るという様な特別番組が多いような気が致します。何を隠そうこの私めも中学生の頃、将来は考古学者か作家か舞踊家という欲張りな夢があり、その頃は特に古代から平安時代までの歴史に深く興味を持っておりました。クラブ活動も社会研究部などというマニアックな部に所属して、夏休みの自由研究に縄文・弥生時代の遺跡めぐり、奈良飛鳥路の探索などしていたこともあるので、元来非常に興味の有る分野ですので、ついつい見入ってしまいます。

 しかしながらその後の戦国時代に突入すると、その時代を形成する「争う意義」「男のロマン」的な思考が根本的に理解出来ず、途端にテストの点が悪くなった為「何か悩みでも有るのか?」と歴史担当の先生に大変ご心配をお掛けした・・・なんて事もありました。その頃から私の興味の対象は非常に偏っていたのかも知れません。何せ私にとって日本の歴史は古代から平安時代、そこから江戸時代まで無いも同然。白状しちゃうと、誰が誰を攻めていたのか、未だに良く理解出来ていません。織田信長の家来が藤吉郎だった事や明智光秀に本能寺で暗殺されたこと位は知っていますけどね。



 閑話休題・・・。さて、近畿や静岡あたりの遺跡を見て、中学生の私の印象に深く残ったのは、古代人達の理にかなった感覚、感性の瑞々しさであり、創意工夫の柔軟さでした。状況に応じその判断は動物的な本能がそうさせたとしか思えないのに、結果的に後の世に大きな貢献をもたらす、素晴らしい発見を数多く残しているのです。生きていく為の道具さえも無から発明してしまう私達の祖先の創造品の中には、何の為に造ったのかさえ解らない、しかし大自然の中に泰然自若と存在するものさえも残しているのです。

 これは日本に限らず、世界中の文明が栄えた国には今の科学をもってしても解明することの出来ない謎の1つや2つはあり、わからない事は「宇宙人の仕業としておけば間違いない」説を有力視していたりするのですが、ここで私はハタと思い当たったのです。



 私達現代人は根本的な考え方に間違いを起こしているのではないでしょうか?

例えば、幼い子供が百人一首を完全に覚えてしまったり、歌を一回しか聴いていないのにそらで歌えてしまったりする事が有ります。そして大人はそれに対して「凄いわね、まだ小さいのに。」とか「大人顔負けね。」などと褒めます。でもそれは、子供より大人の方が優位だという考えが基本に有るので、そのような余裕のコメントになるわけです。が、実はそれは大きな錯覚で、脳のまだ柔らかい子供の方が記憶力にかけては、大人より優位な立場にある事は、科学的にも証明されていることなのです。

 それと同じで、「昔なのにどうやって・・・。」「今の科学でも解らないのに・・・。」と現代人が思うのは、その根底に科学の発達した今の時代のほうが、昔に比べて優れているという思いが有るからではないのでしょうか?そしてその傲慢さゆえに今の時代の限界が有るのでは・・・?と。

 

 もう1つ例え話を。ここに「はさみ」が有るとします。「はさみ」は物を切る道具です。使う人によっては人を傷つける道具、又人によっては美しい切り紙を創り出す道具。人によって使い方は様々です。

そしてさらにもう1つ。あるスピーカーのメーカーは、最低2台、しかも左右対称に無ければバランスの良い音を聞くことの出来ない本来のスピーカーの定義を根底から覆す、一台で部屋のどこに置いても、どこに居ても、どこから聞いてもバランスの良い音が聞けるスピーカーを、木と紙で創り出しました。スピーカーの老舗メーカーがそのスピーカーを購入し、分解してその仕組みを解明しようとしたらしいのですが、同じものを作ることが出来なかったそうです。そう・・・、「はさみ」を武器と捉える感性では、美しい切り紙を作ることは出来ないのですね。



世の中はすべてがデジタル化の傾向に傾いています。テレビにしてもカメラにしても音にしても、臨場感や、鮮明ですぐそばにそのものが有るように技術を切磋琢磨しているのは、より自然に近づけようとしているわけで、結局究極デジタルの求めるものは実はアナログなんじゃないかと思ったりもします。

もうそろそろ科学の力が優位なのだという傲慢な勘違いに気付いても良い頃なのでは?と思います。謙虚にならなければ学んだとしても上辺だけで、その奥に在る真実に気付くことは出来ません。私達の祖先が歩んできた道を、その感性を素直に謙虚に学び直し発想の転換をしていくこと、これが今現代人に求められている本当の意味での「温故知新」ではないかと思うのです。



「温故知新」

〔論語(為政)〕昔の事を調べて、そこから新しい知識や見解を得ること。ふるきをたずねて新しきを知る。
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(2007年11月25日 NO.151号)




◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の七「和とは何ぞや・・・のお話」



 「和」とは何ぞや・・・、という事を研究している方がいらっしゃるというお話しを、以前伺ったことがありました。結果から申し上げますと「和」は物では無いという事に辿り着いたそうですが、それはどういうことなのでしょうか?

 つまり茶碗や棗が台所に只漠然と置いてあるだけではそれは「和」とは言えず、茶碗や棗が茶碗や棗として置いてあるに相応しい場所や空間に存在するという事が「和」という雰囲気を醸し出す。この「雰囲気」とか「空気」とか「空間」が「和」なのだということです。茶碗や棗の場合、お茶室の空間で丁寧に扱われてこそ、その物の持つ本来のオーラが出て来ますが、台所に転がっている様な状態では、只の湯呑み茶碗と変わらなくなってしまいます。それと同じように今日本でブームになっている「和」も形だけの「和」なので、若者たちが浴衣を着ていても、まったく日本の文化の美しさを感じることの出来ないTシャツと変わらない、何ともへんてこりんな「物」になってしまっているのでしょう。しかしながら日本は自国の文化を、ある一定の時期が過ぎると忘れ去られてしまう「ブーム」にしてしまう世界にも類を見ない不思議な国です。自国の文化をそんな次元でしか捉えることの出来ない日本人って一体何なのでしょうか?



  前回のお話で、私はいみじくも「・・・このように日本舞踊の歌詞は、まるで漆を何回も塗り重ね美しい光沢を醸し出すのと同じように・・・」と書いていましたが、正に日本の文化を象徴しているかのようなその「漆器」を英語でその物ずばり、「ジャパン」と言うのをご存知でしょうか?何故、「漆器」が「ジャパン」と呼ばれるようになったのか、その経緯を私は知らないのですが、前回その文章を書いている時にはすっかりその事を忘れており、後でふとしたことから思い出し、それからこの言葉の持つ暗示をずっと考えていました。「漆器=ジャパン」なら「陶器=チャイナ」です。この相対的なイメージというものは日本人が何と言おうと、英語圏の人物が漆器や陶器という代表的な工芸品を、日本や中国に持つ象徴的なイメージとして国名で表現したもので、何とも皮肉な気がします。現代の日本人が自国の文化であるにも関わらず忘れている本質的な物を、彼らは知っているのかも知れません。実際に彼らの方が日本の優れた感性や技術に対して敏感且つ、ある意味貪欲です。以前映画「ラストサムライ」を見たときに私が感じたのは、感動と憤りでした。感動に比例して憤りが大きくなったのも、なぜ此の映画を撮ったのが日本人ではないのかという思いを抑えることが出来なかったからです。とても感動し涙した映画でしたが、もう一度見たいという気になれないのは、その複雑な思いを二度としたくないからかも知れません。







 「漆器」だけでなく、日本を代表する素晴らしい養殖の技術を有する「真珠」もアコヤ貝の懐で真珠層が何層にも巻かれ美しい光沢を放つ、また「着物」も重ねて着る、色も極彩色というよりは一色の中に他の色のニュアンスを感じられる・・・・。このように考えていくと日本文化は自然と向き合いじっくり育て慈しむ、農業と同じでは無いのかと思えてなりません。雨や風や太陽と共に共存共栄し、水や光や熱の調和がなければ作物は育ちません。そんな生活、四季の中で培われた文化だからこそ、物その物ではなく空気や雰囲気が伴わなければ「和」とは言えないのでしょう。欧米の狩猟民族の様に人の物を奪うのDNAではなく、慈しみ育てる農耕民族のDNAを持つからこそ、このような文化が育ってきたと言えるのでしょう。

 

 面白いことに「和」という字は米を口にするという意味も有るそうです。そして「足し算」を「和算」というように単純に数字を足すと言うよりは違うもの同士を調和させ別の発展したものを作り出す、「和」にはそんな素晴らしい精神性を伴い、さらに「和」は「輪」にも通じるのです。

日本人の本質的なものはDNAの中にしってかり組み込まれているはずなので、こういった優れた国民性の本質は変わらないはずです。様々な国のものを迷うことなく取り込んで、すぐに日本風にアレンジしてしまったり、世界に誇る日本独自の技術を持っていたり・・・。ただ今問題なのはその考え方、思想の基本の全てが欧米のものに基準を置いているということなのです。家族や会社、服装や音楽も人と人の結びつきもすべてのものが欧米化し、例えばミス・ユニバースの日本代表基準も、如何に欧米人に近いかが判断基準で、日本女性の美しさを世界に誇ろうとしているとはとても思えません。



 今の日本がめちゃくちゃになっているのは、本来の日本人のDNAに反する全ての考え方がもう限界に来ているからなのです。もう一度全ての基本を日本の伝統文化に学びなおす事によって、日本人が本来持つ素晴らしい感性や特質が開花するに違いないと、私は固く信じています。農業=Agriculture→culture=文化。こじ付けかも知れませんが文化はやはり丁寧に土地を耕し、作物を見守り育て慈しむ農業のようなもの。雨や風や太陽の自然の声を聞きながら、自分たちも自然の一部として生きていた頃の日本人の「和」の心を私自身ももっと感じたい、知りたいと思います。2008年、今年はそんな年になりそうです。