「稽古とは一より習ひ十を知り、十よりかへるもとのその一」 千利休
知り合いの若き能楽師のブログに取り上げられていた言葉です。この言葉を目にした瞬間、心が凪のようにシンとなりました。自分の心と向き合わされた感じです。
稽古に限らず、段階を追って物事を学んで行くのは順序として何の不自然さも有りませんが、ある程度分かってきた段階で、もう一度「一に返る」、基本、初心に戻る事の出来る謙虚さが本当に大切だと思います。
芸事は特にはっきりしています。自分で上手いと思った時、出来ていると感じた時からその人の芸はそこで止まってしまいます。
少し逸れるかも知れませんが、ある実業家の知人がこんな事をいっていました。「物事が上手くいかなくて、その原因がはっきり分かっている時の方が事態はまだ改善の余地があるけど、一見上手く行っている様で、その実それに覆い被されてしまって分からなくなっている、隠れた問題点の方が重大だ」と。正に云い得て妙。
一から学び出す時、まだ未熟さが露呈していて、他人からもはっきりと何が出来ていないかがわかりますが、形が出来て来れば来るほど上手くいかない原因がとても分かりにくくなるのです。人からも指摘されない、自分でも判らない。そんな時「一に返る」、基本、初心に戻る事意外、そこから抜け出す道は存在しません。それも自分で気付かない限り、人から手取り足取り気付かせて貰える事は殆ど無いと言って良いでしょう。
人生も同じですね。私たちは「生きる」という稽古をしているのです。物事が上手くいかない時、感謝と謙虚さが足りなかったのではないかと、思い返しなさいという話を聞いたことが有りますが、正に人生にとっての「かへるもとのその一」がその「感謝と謙虚さ」なのだと感じています。
知り合いの若き能楽師のブログに取り上げられていた言葉です。この言葉を目にした瞬間、心が凪のようにシンとなりました。自分の心と向き合わされた感じです。稽古に限らず、段階を追って物事を学んで行くのは順序として何の不自然さも有りませんが、ある程度分かってきた段階で、もう一度「一に返る」、基本、初心に戻る事の出来る謙虚さが本当に大切だと思います。
芸事は特にはっきりしています。自分で上手いと思った時、出来ていると感じた時からその人の芸はそこで止まってしまいます。
少し逸れるかも知れませんが、ある実業家の知人がこんな事をいっていました。「物事が上手くいかなくて、その原因がはっきり分かっている時の方が事態はまだ改善の余地があるけど、一見上手く行っている様で、その実それに覆い被されてしまって分からなくなっている、隠れた問題点の方が重大だ」と。正に云い得て妙。
一から学び出す時、まだ未熟さが露呈していて、他人からもはっきりと何が出来ていないかがわかりますが、形が出来て来れば来るほど上手くいかない原因がとても分かりにくくなるのです。人からも指摘されない、自分でも判らない。そんな時「一に返る」、基本、初心に戻る事意外、そこから抜け出す道は存在しません。それも自分で気付かない限り、人から手取り足取り気付かせて貰える事は殆ど無いと言って良いでしょう。
人生も同じですね。私たちは「生きる」という稽古をしているのです。物事が上手くいかない時、感謝と謙虚さが足りなかったのではないかと、思い返しなさいという話を聞いたことが有りますが、正に人生にとっての「かへるもとのその一」がその「感謝と謙虚さ」なのだと感じています。