文部科学省のある方から、嬉しいお話を伺いました。その一部を抜粋。



 「猿若町」、「木挽町」等の伝統ある旧町名の復活を契機に、地域(日本)文化、地域(日本)のアイデンティティを認識することができればと考えております。イノベーション戦略の議論でも「何が実現できるかではなく、何を実現したいかの意志が大切」がキーワードになっています。



 ん~、良いお話では有りませんか。この方、去年の忘年会で私に、「何で伝統文化に文科省はお金を掛けないのか」と突っ込まれて「役人的なお答えを致しますと・・・・。」なんて、焦りまくっていた人ですが、いままで日本は一流の国として欧米の国と肩を並べる為には、大きなオペラ劇場を建てたり、コンサートホールを造ったりする事が最優先事項と考えていたのですが、最近それが間違いだったという事に気が付いてきているというのです遅いっちゅうねん



 

 でも、日本は戦争に負けてからというもの、自分の国にとことん自身を喪失してしまったのでしょうね。同じ敗戦をしてもドイツは自国の教育まで変えるということはしませんでしたが、日本は教育の根底から変えてしまいましたからね。余程指針を失ってしまったのでしょう。

 鎖国から開国に時代が移り変わり、欧米から日本に流れ込んできたおびただしい文化文明は、その当時の日本人にとって、「舶来」という憧れを持って使われる言葉からも分かるように、煌びやかな素晴らしいものだったのでしょう。と同時に、自分の国に無いその文化文明を目の当たりにして、その当時から、持つ必要の無い劣等感も植えつけられていたのでしょう。そんな、「素晴らしい文化文明を持つ国」に日本は全てを委ねてしまったのですね。



 かの三島由紀夫も著書の中で、昨日まででお国の為に死ぬ事が全てという教育をされていたのに、今日から突然生きろと言われても、途方に暮れるばかりだと言うような意味のことを言っていましたが、多分お国も途方に暮れてしまったのでしょう。英雄が突然戦犯ですものね。尋常の沙汰ではありません。



 日本という国に劣等感や引け目を持たず、世界でも唯一無二の素晴らしい伝統文化を持つ日本を、純粋に日本としての価値で見ることの出来る政治家が出てこない限り、日本はまるで他国からお手当てを貰っている愛人のような国から脱することは出来ないと思います。意味も分からないのに横文字を使う政治家がいるのもお笑い種です。分からないのならもっともらしく使わないで下さいな。



 まあ、良くも悪くも変わり身の早いところが日本の体質なのでしょう。

気が付いたなら是非やってください。伝統ある旧町名の復活もいいと思います。ただ何をしたら、本当にその目的が達成出来るのか、よ~く考えて下さい。復活しただけで仕事が終わったと思わないで下さい。「何が実現できるかではなく、何を実現したいか」ですものね。宜しくです。