稽古の時、稽古場では踊りの事だけに限らず、その時々で実に様々な事をお弟子さんと話します。今日は日本の言葉の話になりました。平安時代、男が女の元に通って来る通い婚だった時代、日が暮れて夜の気配が漂う頃男が女の元に通ってくるわけですが、暮れかけた夕日を背に薄暗い部屋に男が入ってくると、顔がよく見えない。女は「たそ(誰ぞ)、彼は?」と問うた訳ですが、男は名を告げることも無く、そのまま契りを結ぶと、夜の明けきらぬ前に、顔の判別のし辛い薄明かりの中を立ち去って行く。取り残された女は「彼はたれ(誰)だったの?」と自問自答。今度いつ会えるという約束も無く、男が残した香りの中で半ば呆然と女は男を待ち続ける。女にとって待つだけの、切ない恋の時代が背景になって出来た言葉が、今も使われているのです。
特に落日の逆光で人の顔が見づらい「たそがれどき」は「黄昏時」等の当て字で現在も健在です。しかし、朝方に行きずりの顔もわからない男と別れる設定が一般的ではない今の時代、「かはたれどき」は殆ど死後になっています。このように時代に取り残され、用の無くなった言葉の中には日本人の心の琴線に触れる美しい表現が多く存在しているように思えます。日本古来の言葉の表現を耳にした時、一瞬その場面や気持ちが、あたかもその場に自分が居たように身近に感じてしまうのは私だけでしょうか?