
10月13日,月曜日
わたしたちは……忠節で,義にかない,責められるところのない者となりました。―テサ一 2:10。
デリラ,アブサロム,ユダ・イスカリオテの共通点は何でしょうか。3人とも不忠節でした。デリラは,自分を愛してくれた裁き人サムソンに対して,アブサロムは父ダビデ王に対して,ユダは主人であるキリスト・イエスに対して不忠節でした。その嘆かわしい行動は他の人たちに大きな災いをもたらしました。この問題はわたしたちと無関係ではありません。なぜでしょうか。現代の一著述家は,今日広くはびこっている悪徳に,裏切りを含めています。それも驚くには当たりません。イエスは「事物の体制の終結」のしるしを挙げた中で,「多くの者が……互いに裏切(る)」と述べたからです。(マタ 24:3,10)「裏切る」とは,不実あるいは不忠節により,人を敵の手中に引き渡す,あるいは置くことを意味しています。忠節を欠いたそのような行為は,今が「終わりの日」であることの証拠です。人々は「忠節でない者」,「裏切る者」となるという,パウロの予告どおりになっているのです。(テモ二 3:1,2,4)不忠節や裏切りは,心痛と苦しみをもたらします。そのような行為はまさに,終わりの日のしるしの一つなのです。塔12 4/15 2:1,2
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