

それでは,しばしばうつ病に伴う感情,つまり自分は無力で価値がないという意識,そして罪悪感などについてはどうですか。あなたが自分は他の人よりも劣っていると考えるようになったのは,この世の言う“成功”の規準のせいですか。この問題に関する聖書の見解を調べてみるのは有益なことです。人気があり,派手で,魅力的であると世で考えられている事柄は,「父[神]から出るのではなく,世から出る(のです)」と聖書は断言しています。(ヨハネ第一 2:15,16)聖書はさらに,他の人の役に立つような積極的な特質がだれにでもあることを,はっきりと示しています。クリスチャンの取るべき正しい態度について,使徒パウロは次のように記しています。
ヨハネ2章15.16節
15 世も世にあるものをも愛していてはなりません。世を愛する者がいれば,父の愛はその人のうちにありません。16 すべて世にあるもの―肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと―は父から出るのではなく,世から出るからです。
「実際,体は一つの肢体ではなく,多くの肢体です。たとえ足が,『わたしは手ではないから,体の一部ではない』と言ったとしても,そのゆえにそれが体の一部でないというわけではありません。また,たとえ耳が,『わたしは目ではないから,体の一部ではない』と言ったとしても,そのゆえにそれが体の一部でないというわけではありません。もし体全体が目であったなら,聴覚はどこなのですか。それが聴くことばかりであったなら,においをかぐことはどこなのですか。しかし今,神は体に肢体を,そのおのおのを,ご自分の望むままに置かれたのです。目は手に向かって,『わたしにあなたは必要でない』とは言えず,頭も足に向かって,『わたしにあなたがたは必要でない』とは言えません。それどころか,実際には,体のなかでほかより弱く見える肢体がかえって必要なので(す)」―コリント第一 12:14‐18,21,22。
コリント第一12章14~18節
14 実際,体は一つの肢体ではなく,多くの[肢体]です。15 たとえ足が,「わたしは手ではないから,体の一部ではない」と言ったとしても,そのためにそれが体の一部でないというわけではありません。16 また,たとえ耳が,「わたしは目ではないから,体の一部ではない」と言ったとしても,そのためにそれが体の一部でないというわけではありません。17 もし全身が目であったなら,聴覚はどこなのですか。それが聴くことばかりであったなら,においをかぐことはどこなのですか。18 しかし今,神は体に肢体を,その各々を,ご自分の望むままに置かれたのです。
コリント第一12章21.22節
21 目は手に向かって,「わたしにあなたは必要でない」とは言えず,頭も足に向かって,「わたしにあなた方は必要でない」とは[言えません]。22 それどころか,実際には,体の中で[ほか]より弱く見える肢体がかえって必要なのであり,