

13 自制するためのもう一つの大きな助けは,神と神の約束に対する信仰です。信仰があれば,エホバを信頼し,事態を正すためのエホバのご予定の時を待つことができます。使徒パウロは同じ点に言及し,ローマ 12章19節で次のように述べています。「わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。……こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」。この点で,謙遜さもわたしたちの助けになります。謙遜であるなら,傷つけられたように思えた,あるいは実際に傷つけられたことを理由に,すぐに腹を立てることはないでしょう。性急に,言わば自分勝手に制裁を加えたりはせず,自制し,喜んでエホバに仕えるでしょう。―詩編 37:1,8と比較してください。
ローマ12章9節
19 [わたしの]愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ[神の]憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」。
詩篇37編1節
37 悪を行なう者たちのために激こうしてはならない。
不義を行なう者たちをうらやんではならない。
詩篇37編8節
8 怒りをやめ,激怒を捨てよ。
激こうし,そのためにただ悪を行なうことになってはならない。
13 自制するのに信仰が助けになるのはなぜですか。
復讐はエホバ神のものです。
そのことに信仰を働かせるなら、
裁きをエホバ神にゆだねることができます。
傷つけられたことを理由に,
すぐに腹を立てることはないからです。
性急に,言わば自分勝手に制裁を加えたりするのは僭越です。