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病気と共に生きる

耳鳴りを治す本格的な治療法が確立される兆しは,今のところまだ見えません。ですから,耳鳴りと共に生きる方法を学ばなければなりません。耳鳴りとはそのような雑音なのです。「耳鳴りと共に生きる」という本はこう述べています。「私も私の同僚も今は,我慢する気持ちを徐々に培うことが,耳鳴りに対する正常な反応であると固く信じている」。

実際,その音を無視し,注意を払う価値のないものとみなすよう自分の頭に教えることができます。あなたは騒々しい地区にお住まいですか。あるいは,扇風機や冷房を使われますか。最初は,その雑音が気になったかもしれませんが,しばらくしたらその雑音を全く無視するようになったでしょう。いや実際は,そのような雑音の中でも眠れるようにさえなっておられるかもしれません。同様に,耳鳴りにあまり注意を向けないようにする方法を学ぶことができます。

耳鳴りは,神の来たるべき新しい世が到来する時まで堪え忍ばねばならない多くの病気の一つです。その新しい世では,「『わたしは病気だ』と言う居住者はい(ません)」。(イザヤ 33:24)その時まで,耳鳴りは人をいら立たせる問題となる場合もありますが,それによってあなたの生活を台なしにされたり,支配されたりする必要はありません。耳鳴りとうまく付き合ってゆく方法を学ぶことができます。耳鳴りとは確かにそのような雑音なのです。

イザヤ33章24節
24 そして,「わたしは病気だ」と言う居住者はいない。[その地]に住んでいる民は,自分のとがを赦された者たちとなるのである。

[脚注]

クリスチャンであれば,そのような療法が聖書の原則に反するものでないことを確かめたいと思うことでしょう。例えば,「目ざめよ!」誌,1984年5月22日号の自律訓練法に関する記事をご覧ください。

[26ページの図版]

耳鳴りとうまく付き合ってゆく方法を学ぶ第一段階は,資格のある医師の診断を受けること

病気とともに生きる。
たまにうんざりする時あるよね。
受け入れてはいるんだけど、
自転車に乗っていて、
普通なら車が遠くから近づいてくれば聞こえるのに、
舞は難聴だから聞こえなかったり、
年と共に老眼になったり、
劇うつで布団から出れなかったり、
アルコール依存症でお酒が止まらなかったり、
「何で舞ばっかり・・・」
って思うことがある。
別れただんなは楽しくやっているんだろうなとか
重症の精神障害者の子供二人抱えて、
もう、しんどいですから・・・
って、言いたくなる時あるけど
そんな時は、ゆっくりお風呂に入って楽しんだり、
光療法で真っ赤になるのを楽しんだり
花を見に行ったり、
とにかく、自己憐憫にならないようにするしかないよね。
そして、もてない荷物は神様にお任せ。
=*^-^*=にこっ♪

耳鳴りとうまく付き合ってゆく方法を学ぶことができます