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↑バビロンイシュタール門
エホバの辛抱強さは絶えない

10 しかし,歴史の示すとおり,神の辛抱強さにも限度があります。西暦前740年,神はアッシリア人がイスラエルの十部族王国を覆して,その住民を流刑に処することを許しました。(列王第二 17:5,6)さらに,その次の世紀の終わりごろ,神はバビロニア人がユダの二部族王国に侵入して,エルサレムを神殿もろとも滅ぼすことをお許しになりました。―歴代第二 36:16‐19。

列王第二17章5.6節
5 こうしてアッシリアの王はこの全土に攻め上り,サマリアに上って来て,三年間これを包囲した。6 ホシェアの第九年に,アッシリアの王はサマリアを攻め取り,イスラエルをアッシリアに流刑に処し,彼らをハラハと,ゴザン川のほとりのハボルと,メディア人の諸都市に住ませた。

列王第二36章19節
16 ところが,彼らは絶えず[まことの]神の使者たちを笑い物にし,そのみ言葉を侮り,その預言者たちをあざけっていたので,ついにエホバの激怒がその民に向かって起こり,いやし得ないまでになった。

17 そこで,[神]はカルデア人の王を彼らのもとに攻め上らせたので,彼はその聖なる所の家で彼らの若者たちを剣で殺した。彼は若者にも処女にも,年寄りにも老衰した者にも同情を覚えなかった。すべてのものを[神]は彼の手に渡されたのである。18 そして,[まことの]神の家のすべての大小の器具,エホバの家の財宝,王とその君たちの財宝など,そのすべてを彼はバビロンに携えて行った。19 さらに,彼は[まことの]神の家を焼き,エルサレムの城壁を取り壊した。その住まいの塔をみな,彼らは火で焼き,またその好ましい品物もみな[焼き],壊滅させた。

10 エホバの辛抱強さは,いつ限度に達しましたか。

西暦前740年、アッシリアがイスラエルの十部族を
覆して、その民を流刑にしました。
ネブカドザル2世は、586年から始まった
ユダ王国征服時にユダヤ人をバビロンに強制移住させます。
バビロン捕囚と呼ばれています。