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愛は「すべての事を信じ」。愛は,神がご自分の真理のみ言葉の中で述べておられる事柄に信仰を抱きます。たとえ表面的にはそのように見えなくても,また不信仰な世が嘲笑するとしても,これは変わりません。この愛,特に神に向けられたこの愛は,神の真実さに対する認識であり,忠実性と信頼性を示す神の記録に基づいています。それは,わたしたちが真実で忠実な友を知り,その人を愛し,その人がわたしたちの側には証拠のない何事かを告げたとしてもそれを疑わないのと同じです。(ヨシュ 23:14)愛は神の言われるすべてのことを信じます。それを完全には把握できないとしても,そのことがさらに十分に説明されるまで,あるいは明確な理解が得られるまで忍耐強く喜んで待ちます。(コリ一 13:9‐12; ペテ一 1:10‐13)愛はまた,クリスチャン会衆と神の任命された僕たちに対する神の導きを信頼し,神のみ言葉に基づく彼らの決定を支持します。(テモ一 5:17; ヘブ 13:17)それでも,愛はだまされやすくはありません。それは,「その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい」という神の言葉の助言に従い,聖書の測定基準によってすべてのことを試すからです。(ヨハ一 4:1; 使徒 17:11,12)愛は忠実なクリスチャン兄弟たちに対する確信を抱かせます。クリスチャンは自分の兄弟が間違っていることを示す絶対の証拠がない限り,兄弟たちを疑ったり不信感を抱いたりはしません。―コリ二 2:3; ガラ 5:10; フィレ 21。

ヨシュア記23章14節
14 「さあ,ご覧なさい,わたしは今日全地の[人々の]道を行こうとしています。ですが,あなた方は心をつくし魂をつくして知っているはずです。すなわち,あなた方の神エホバの話されたすべての良い言葉は,その一言といえ果たされなかったものはありません。それはあなた方にとってすべてそのとおりになりました。その一言といえ果たされなかったものはありません。

コリント第一13章9~12節
9 わたしたちの知識は部分的なものであり,預言も部分的なものだからです。10 全きものが到来すると,部分的なものは廃されるのです。11 わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていました。しかし,大人となった今,みどりごの[時の]ことをやめたのです。12 現在わたしたちは金属の鏡でぼんやりした輪郭を見ていますが,その時には顔と顔を向かい合わせて[見るの]です。現在わたしが知っているのは部分的なことですが,その時には,自分が正確に知られているのと同じように,正確に知ることになります。

ペテロ第一1章10~13節
10 ほかならぬこの救いに関して,勤勉な探究と注意深い調査が,あなた方に向けられた過分のご親切について預言した預言者たちによって行なわれました。11 彼らは,自分のうちにある霊が,キリストに臨む苦しみとそれに続く栄光についてあらかじめ証しをしていた時,それがキリストに関して特にどの時期あるいはどんな[時節]を示しているかを絶えず調べました。12 彼らは,天から送られた聖霊をもってあなた方に良いたよりを宣明した人々を通して今あなた方に発表されている事柄に奉仕しましたが,それが,自分自身のためではなく,あなた方のためであることを啓示されました。み使いたちは,実にこうした事柄を熟視したいと思っているのです。

13 したがって,活動に備えて自分の思いを引き締め,あくまでも冷静さを保ちなさい。イエス・キリストの表わし示される時あなた方にもたらされる過分のご親切に希望を置きなさい。

テモテ第一5章17節
17 りっぱに主宰の任を果たす年長者たち,とりわけ,話すことや教えることに骨折っている人たちを,二倍の誉れに値するものとみなしなさい。

ヘブライ13章17節
17 あなた方の間で指導の任に当たっている人たちに従い,また柔順でありなさい。彼らは言い開きをする者として,あなた方の魂を見守っているのです。こうして[あなた方は],彼らがこれを喜びのうちに行ない,嘆息しながら[行なうこと]のないようにしなさい。そのようなことはあなた方にとって損失となるのです。

ヨハネ第一4章1節
4 愛する者たちよ,霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。多くの偽預言者が世に出たからです。

使徒17章11.12節
11 さて,[ここの人たち]はテサロニケの人たちより気持ちがおおらかであった。きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べたのである。12 そのため,彼らのうちの多くの者が信者となり,また,評判の良いギリシャ婦人や男子のうちのかなりの者がそうなった。

コリント第二2章3節
3 それでわたしは,まさにこのこと,つまり,わたしが行くときには,自分が当然歓ぶはずの人たちのために悲しまされることがないようにと書いたのです。自分が持つ喜びはあなた方すべての[喜び]でもあるとの確信を,あなた方すべてについて抱いているからです。

ガラテア5章10節
10 わたしは,主と結ばれているあなた方がこれと違った考え方をするようなことはないと確信しています。しかし,あなた方を煩わせている者は,それがだれであっても身に裁きを受けることになります。

フィレモン21節
21 わたしは,あなたが応じてくれることを信じて書いています。あなたがわたしの言う以上のことをさえしてくれるのを知っているのです。

神の真実さに対する認識であり,
忠実性と信頼性を示す神の記録に基づいて愛を示すのね。
それを完全には把握できないとしても,
辛抱強くまたなければならないのね。
待つこと、続けることが舞は苦手だ。
今すぐ欲しいという感じかな?
だから、花を育てたり、
子供を育てたりすることは、
舞にとっては、すごい有益なことだよね。
それによって、より感情移入しやすく、
人の気持ちが少しはわかるから。
舞は、だいたい何もなかったことにしてきたから、
子供たちがいたい思いをしない限り、
すべての感情を打ち消してしまう。
でも、愛する子供たちがいたい思いをすると、
舞は感じるしかなくなるから、
現実を見ようとするんだろうね。
本当に、必要なものは、
すべて備えられているんですね。
神に感謝。
=*^-^*=にこっ♪