
無論,優れた健康を含め,物質上のものはただそれだけでは幸福をもたらすものではありません。平和もなければなりません。それも諸国家間の単なる政治的平和ではなくて,人種あるいは背景のいかんを問わず,地上の住民すべての間の平和です。
戸に鍵をかけなくても何の不安も感ぜずに家をるすにして出歩くことができるなら,どんなに気持ちが安らぐことでしょう。あなたの平安と福祉にほんとうに関心を抱く隣人を持つことになれば,どんなにか楽しいことでしょう。自分自身あるいはわが子の命が戦争や犯罪あるいは病気によって奪い去られることがなくなるということを知るのは何と快いことでしょう。
神は遠い昔に,正真正銘の平和と安全の宿るそうした状態をも予告し,予示されました。それは「新しい天と新しい地」(すなわちイエス・キリストの天の政府と,千年にわたる王国支配の期間中における地上の物事の新しい取決め)に関する預言の中に示されています。
その預言は神の預言者イザヤによってイスラエル人に話されたものですが,彼がその預言を語ったのは,イスラエル人が神の律法を守らなかったために西暦前607年バビロンに流刑囚として連れ去られる前のことでした。神は彼らをその土地に帰還させるということを示して彼らを慰めました。神は次のように言われました。
『日数わづかにして死ぬる嬰児といのちの日をみたさゞる老人とはその中にまたあることなかるべし 百歳にて死ぬるものも尚わかしとせられ 百歳にて死ぬるものをのろはれたる罪人とすべし』―イザヤ 65:17,20。
イザヤ65章17節
17 「いまわたしは新しい天と新しい地を創造しているからである。以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない。
イザヤ65章20節
20 「数日[しか生きない]乳飲み子も,自分の日を全うしない老人も,その場所からはもはや出ない。人は百歳であっても,ほんの少年として死ぬからである。罪人については,その者が百歳であっても,その身の上に災いを呼び求められるであろう。
イエスの支配する1000年統治、入りたいですね。
病も死もなく、嘆きも苦痛もないのです。
わたしたちは、おのおの自分のぶどう園を持ち、
快く仕事をし、友を呼んで食事を楽しむことができます。
日に日に病気は癒され、老いからも開放されるのです。
目覚めるたびに活気を感じることでしょう。
目覚めるたびに、喜びを感じ、
共に神とイエスについての正確な知識を学ぶことができるのです。
そして、死人は復活し、
舞は父と母に心からごめんなさいと、
(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う
を言うことでしょう。
なんという招待ではありませんか?