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この同じヘブライ語は,神が人の語る事柄を『聞く』,あるいはそれに『耳を傾ける』ことに関しても使われています。この場合,英語の“obedience”や日本語の「従順」という語は不適切です。人間が神に命令することは不可能であり,できるのは請願や祈願だけだからです。したがって,神がアブラハムに,「イシュマエルに関しても,あなたの願いを聞き入れた」と言われた時,神はご自分がアブラハムの要請を考慮したこと,またそれに応じて行動するということを告げておられました。(創 17:20)それと同様に神は,人々が困難や苦難の時に発する訴えを『聞き』,あるいはそれにこたえ応じ,憐れみを示すのが良いと判断される場合には,その嘆願にお答えになりました。―創 16:11; 29:33; 21:17; 出 3:7‐9。申 1:45と比較。

創世記17章20節
20 しかしイシュマエルに関しても,あなた[の願い]を聞き入れた。見よ,わたしは彼を祝福して子を多く生ませ,非常に多く殖えさせる。彼は必ず十二人の長を生み出し,わたしは彼を大いなる国民にならせる。

創世記16章11節
11 エホバのみ使いはさらに言った,「いまあなたは妊娠している。あなたは男の子を産むが,その名をイシュマエルと呼ばねばならない。エホバがあなたの苦悩を聞かれたからである。

創世記29章33節
33 そして彼女は再び妊娠して男の子を産み,その後こう言った。「エホバは聴いてくださり,わたしがうとまれていたのでこの子をも与えてくださったのです」。それで彼女はその名をシメオンと呼んだ。

創世記21章17節
17 すると神はその少年の声を聞き,神のみ使いが天からハガルに呼びかけてこう言った。「ハガルよ,どうしたのか。恐れてはいけない。神は少年のいるその所で彼の声を聴かれたからである。

出エジプト記3章7~9節
7 するとエホバはなおもこう言われた。「わたしは,エジプトにいるわたしの民の苦悩を確かに見た。彼らを駆り立てて働かせる者たちゆえのその叫びを聞いた。わたしは彼らの忍ぶ苦痛をよく知っているのである。8 それでわたしは下って行って彼らをエジプト人の手から救い出し,彼らをその地から携え出して,良い広やかな地,乳と蜜の流れる地へ上ろうとしている。すなわち,カナン人,ヒッタイト人,アモリ人,ペリジ人,ヒビ人,エブス人のいる所へ。9 そこで今,見よ,イスラエルの子らの叫びはわたしのもとに達した。わたしはエジプト人が彼らを圧迫しているその圧迫も見た。

申命記1章45節
45 その後,あなた方は戻って来てエホバの前で泣きはじめたが,エホバはあなた方の声を聴かず,耳を向けることもされなかった。

神がわたしたちに従順というのは違うのね。
神はわたしたちの祈りや請願嘆願を聞いてくださることがあっても、
それは耳を傾けてくださるのですね。
でも、祈っても聞いてもらえなかったり、
もっと状態がひどくなる時はどうでしょうか?
何らかの事情で聞いてもらえないことは多々あります。
たとえば、息子や娘の病気を治してくださいと祈っても、
それを聞く義務は神にはないのです。
でも、神は本当に優しいので
天におられても自らご自分の民のために、
降りてきてくださり、
優しい羊飼いが羊の世話をするように、
過分のご親切で豊かに報いてくださいます。
わたしたちが神にかたくなにならず、
心を開いて従順に従えばですけど・・・