
16 王国を宣べ伝える業に定期的に参加するなら,わたしたちは霊的に強められます。そうした活動は,わたしたちが神の王国に焦点を合わせ,とこしえの将来や祝福された前途を目ざす助けとなります。(ユダ 20,21)わたしたちが宣教で語る聖書の約束は,わたしたちに希望を与え,預言者ミカと同じ決意を抱かせます。ミカはこう言いました。「わたしたちは,定めのない時に至るまで,まさに永久に,わたしたちの神エホバの名によって歩む」。―ミカ 4:5。
ユダ20.21節
20 しかし,愛する者たちよ,あなた方は,自分の抱く極めて聖なる信仰の上に自らを築き上げ,聖霊をもって祈ることにより,21 自分を神の愛のうちに保ちなさい。そして,永遠の命を目ざしつつわたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ちなさい。
ミカ4章5節
5 もろもろの民は皆,それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかしわたしたちは,定めのない時に至るまで,まさに永久に,わたしたちの神エホバの名によって歩む。
16 宣教に定期的に参加するなら,どのように霊的に強められますか。
17 他の人を教える際に聖書を使えば使うほど,わたしたちとエホバとの関係は強くなります。例えば,「永遠の命に導く知識」の本を手引きにして家庭聖書研究を司会する場合,引照聖句を幾つか読んで話し合うのは賢明なことです。それは研究生にとって助けとなり,わたしたちの霊的な把握力も強化されます。もし研究生がある聖書的な概念や例えをなかなか理解できないなら,「知識」の本の一つの章を2回以上に分けて研究することもできます。神に近づくよう他の人を助けるために時間をかけて準備し,余分の努力を払うのは大きな喜びです。
17 家庭聖書研究に関してどんな提案がありますか。
18「知識」の本が効果的に用いられた結果,毎年大勢の人がエホバの献身した僕になるよう助けられています。その中には,聖書的な背景を持たない人も多く含まれています。例えば,スリランカに住むヒンズー教徒のある男性は,子どものころ,エホバの証人の女性が楽園について話すのを小耳にはさみました。何年か後にその男性は同じ女性に近づき,すぐにその証人の夫と聖書研究を始めました。実際,この若者は毎日研究に行ったので,比較的短期間で「知識」の本を学び終えました。集会にもすべて出席するようになり,以前の宗教との関係を断ち,王国伝道者になりました。バプテスマを受けた時にはすでに,知人との聖書研究を司会していました。
18「知識」の本がどのように効果的に用いられているか,例を挙げて説明してください。
19 王国を第一に求めるなら,わたしたちを強める喜びが得られます。(マタイ 6:33)様々な試練を経験するとしても,わたしたちは引き続き喜んで熱心に良いたよりをふれ告げます。(テトス 2:14)全時間の開拓奉仕に求められる条件にかなう人は少なくありません。福音宣明者の必要の大きな所で奉仕している人もいます。方法のいかんを問わず,そのようにして王国の関心事を喜びのうちに推し進めるわたしたちは,エホバが,わたしたちの働きとみ名に示した愛とを忘れたりはされないことを確信しています。―ヘブライ 6:10‐12。
マタイ6章33節
33 「ですから,王国と[神]の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これら[ほかの]ものはみなあなた方に加えられるのです。
テトス2章14節
14 [キリスト]はわたしたちのためにご自身を与えてくださいましたが,それは,わたしたちをあらゆる不法から救い出し,ご自分が特別に所有する民,りっぱな業に熱心な[民]を,ご自身のために清めるためでした。
ヘブライ6章10~12節
10 神は不義な方ではないので,あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え,今なお仕え続けているその働きと,[こうして]み名に示した愛とを忘れたりはされないからです。11 しかしわたしたちは,あなた方一人一人が同じ勤勉さを示して,希望に対する全き確信を終わりまで保つようにと願います。12 それは,あなた方が怠惰になったりせず,むしろ,信仰と辛抱とによって約束を受け継ぐ人々に見倣う者となるためです。
19 わたしたちは王国を第一に求めるとき,何を確信できますか。
そうですよね。
ほんの少し努力したくらいで
新しい人格は身につかないですよね。
ちょっと手を抜くと、すぐに悪い考えが出てきて、
せっかく新しいものを身につけたのに、
いつの間にか薄汚れている。
心も、毎日のように洗い清めていかないと、
神のご要求ではなく、自分の思い煩いで満たされてしまいます。
今日一日、負えるには丁寧に負って、
負えないには、神にゆだねて
身を軽くして、前をしっかり向いて
後ろのものを振り捨てて生きたいと思います。