昔は歌詞の意味が分からなかったけど、
今になって聞いてみると凄く意味がある、共感できる歌が多かったなぁなんて思って聞いている。
その近くにはいつも叶わなかった恋があったりして。
結婚生活についても、振り返れば色々思うことがあって。
チャゲアスのSEY YESの歌詞がふと頭の中を過って。
私は結婚しても、恋の手触りが消えないように、
努力を重ねてきた。愛を伝えることも、愛を形で伝えることも。
それが間違ってたのかなとか色々と考えてしまって、
また眠れない夜を過ごした私はただのあほな寝不足ババァだ。
言葉でも伝えてきた。
料理やお弁当で形で示してきた。
洗濯も掃除も、フルタイムでは鱈期ながらこなした結果、
愛に応えてくれるどころか、何故か産んだ覚えのない大きな長男が家に居た。
これって、私が悪かったんだろうか。
家事をもっと分担すべきだったのか。
お弁当なんてフルタイムなんだから各ですべきだったのか。
愛していれば、愛してくれると思ってた。
それって見返りを求めてたってことなんだろうか。
愛には愛で。
夫婦になっても、ずっと恋をしていたかっただけ。
それは刺激的なものではなく、ごく平坦で穏やかなモノ。
毎日お互いを大事に想い合いたかっただけ。
だからそれを与えてくれる人が現れてしまった今、
やっぱり私はきちんと自分と向き合って、
同じベクトルで生活を築いていける人が居心地が良い。
私が一生懸命尽くすのに、それ以上を返そうとしてくれる、
愛には愛でこたえてくれる、自分の人生は、
そういう自分を大切にしてくれる人と一緒に生きていきたい。
家政婦じゃないんだからって言われて目からうろこだったけど、
食卓は温かいウチに提供した良いから先に食べてくれて良かった。
食後の食器の片付けのことを考えたら、フライパンや鍋を先に洗い方付けしておきたい。
だけど、片付けが大変なら一緒にするから、食卓はみんなで囲んでいただきますをしよう。
そう言われ、実際片付けをしているウチに、おかずを何品か作ってくれたり、私が作ってるとちゃっちゃか隣で片付けしてくれたりする。
今は私は無職で彼は明け方前から出社して、夕飯も遅い時間くらいに帰ってくるのに、
帰ってきて座ることなく隣で手伝いではなく主体的にしてくれる。
これがお互いを想うってことなのかな。
少なくとも、私は嬉しい。私の気持ちに応えようとしてくれるのが嬉しい。
相手の想いが私にしっかり伝わってくる。
育ちなのか、感性が合っているだけなのか。
似た価値観を持ち合わせるって大事だなって痛感した。