毎度です。
私は時々、いやいつも。
家では無言でいたいなぁと思う。
外でめっちゃ話す分家では静か。実家ではうるさいらしいが。
でも家族とのコミュニケーションが無いとこんなことでは家族の空気が悪いかなと何か話題をと考える。
そうして話題にした内容はいつもスムーズにただの世間話で終わるとはいかず論議となる。
一番リラックスしている状態が私にとっては無言なのだ。
私は目の前の話をしているのに、どうしてある人は誰もわからない未来を決めつけ否定するのか。
足元にあるものの話をしているのに、たどり着いてない目的地の事を勝手に決めつけ話すのか。
そんな堂々巡りな「論議」が好きな人がいる。
例えばそれが妄想の目的地がとても素晴らしいものでという話はいいだろう。
目的地へ行く足取りが軽やかになってスキップしたくなるだろう。
しかし、その妄想がネガティブなものだと、目的地へ行く今の足取りを止めてしまうじゃないか。
足に重しをいきなりどんとつけて歩くように足は重くなる。
私は今までイメージだけでここまで来た。
全てイメージした通りにアメリカに住み、国際結婚をし、男女のハーフの子供を産んで。
ここまでの漠然としたイメージを私が20代前半のころから話していた時は皆笑っていたじゃないか。
でも、ちゃんと私はここに立っているじゃないか。
いつだって自分の夢みたいな話は否定をされたり笑われたりするけれど、私と私を信じてくれ応援してくれる人だけは強く肯定して私の足取りを止めないように背中を押してくれる。
全く根拠もないけど私はこれからの自分の人生がキラキラしている光を凄く感じている。
この地でしっかり立って素晴らしい仲間と共に仕事を自分で作って楽しく毎日を謳歌している。
そんな風にワクワクだけしていたらいいんだ。
今の生活に対してため息ついていたって何も生まれない。
ただただワクワクしようとすることだ。
ワクワク出来ない人は本でも読んで現実逃避するべきだ。
ワクワク出来ない否定的なそれを人に言ってその人もテンション下げさせるのは間違いだ。罪だ。
ほなのち