毎度です。
ちょうどアメリカは1月17日。阪神淡路大震災から22年を迎えました。
生まれは神戸の私ですが。
ちょうどその前の年に神戸から母方の実家がある高砂に家を買ったので引っ越していました。
早朝にガタガタ!!と揺れて、エッ???って思った時に
隣の部屋で寝ていた母が私の処へきて私の上に追いかぶさって守ってくれました。
姉の部屋には父が。
大きな揺れが一瞬治まった時に勉強机の下へ入ってつかまりました。
高砂は神戸から離れているので全壊する家とかは無かったのです。
それにその日に小学校も行きました。
でも神戸はえらいことになりました。
母は三宮で働いていたので事務所は全壊。
会社へはどれくらいか忘れましたが行けなかったです。
母は私が生後2か月から仕事復帰していたほどで。
男性並みに残業もして、全国に出張も行くので私と姉は寂しい思いをして育ちました。
まだマナくらいの歳の時も残業で帰ってこない母のパジャマのにおいをかぎながら泣きながら寝た記憶はしっかりとあります。
でも。母の前ではあまり泣かないキャラだったので、泣いた事も言わないし。
泣かないキャラを通していましたが。
震災があって、母は家にFAXを買って自宅で仕事が出来るようにして過ごしていました。
私は不謹慎にも震災で仕事に行けなくなった母が主婦のように家にいて
私が学校から帰ると「お帰り!」と言ってくれるその時間が愛おしくもありました。。
でも、テレビをつけると神戸の現実に心を痛め。
子供ながらに祈っていました。
小さな余震にもびくびくしました。
あれから22年。
神戸の人たち、神戸の街に沢山の癒しと、神様の祝福が降り注ぎますように
カリフォルニアから祈っています。