「Sさん」との関係が、やっと軌道に乗った気がします。


私の人生の中で、誰かと付き合う事が、10年間位続いた事が1回だけあります。


それは、東京から帰って暫くして、地元で結婚する事を考え始めたから、初めて、マトモに異性と付き合う気になったのです。


実は、東京から帰ったのが確か「23歳」の冬。


丁度、1年経ったお正月の事でした。


あの日の「出来事」が起こったのは・・・。


その日の事は、事ある毎に書いているので、詳しくは書きませんが、いわゆる、「アークトゥリアン(天使)」の「ウォークイン」のあった日です。


この「仮想現実」のそもそもの始まり。


当時は、あれだけ鮮明な現実体験があったにも関わらず、どうしても、それを現実だと受け入れられず、気がふれてハイテンションの状態になりました。


そして、私は、以来、「分裂症(今の統合失調症)」とレッテルを貼られる事になりました。


私は、いわゆる、欠陥人間になったというコンプレックスを持ったのです。


家から離れたいという気持ちもありました。


だから、それまで誰ともマトモに付き合った事のない私にもある種の覚悟みたいなものが生まれたのです。


でも、最初はやはり、今の「Sさん」の時以上の反発と当時の年齢的未熟さも相まって、同じ人相手に何度も付き合ったり別れたりを繰り返しました。


とにかく、根気がありませんでした。


結婚するつもりだったのもあり、早い内から関係を持ったのですが、相手が若いせいもあり、頻繁に迫られるのも苦痛でした。


何より、相手の初めての相手が私という事もあり、下手以前の問題でした。


私が幾分、年上ってだけで私も未経験だったにも関わらず、「教えて」とせがまれ、心ならずも他の男性にやり方を教わる羽目になりました。


私の理想は、「一生、お互いしか知らない夫婦」だったのもあり、色んな意味で何度も「失敗した」と思う相手でした。


でも、人間というものは、別に理想通りの完璧でなくても、十分に生きて行けるものだと知る学び多き経験になりました。


その10年間の間には、山あり、谷ありだったのですが、最終的に相手の親御さんやご兄弟のご夫婦に会わせては頂きました。


結局、うちの兄が店の借金を抱えている事を理由に破談になりました。


ちなみに、彼の亡くなったお母さんも弟さんの借金を被って、お父さんの退職金の半分位取られた事があり、お父さんが同じ苦労をさせたくなかったらしい。


まあ、本人は、私と別れたくなかったけれど、親御さんを説得する事も出来なかったらしく、一時、ストーカーじみた事もされました。


まあ、そういう事ありました。


なんにせよ、一度は、結婚しようと努力した事はあるのです。


破談になってから、傷物にもなった訳だし、結婚は、スッパリ考えなくなりました。


その後も、兄と2人暮らしを続けている間に、仕事が安定せずに、とうとうニートになった兄を支える為に父の月命日の墓参りと苦手な掃除を始めました。


水道料金はずっと滞納していましたし、私のバイト料だけでは、マトモには暮らせませんでしたが頑張って、そんな生活を続けました。


バイト先の食事も炊き損なって、冷凍にしてあるご飯を30円で分けてもらい、ふりかけで食べたり、豆腐を買って行って、醤油を借りて食べたりしました。


でも、兄には1日間に1箱のタバコと兄の好きな柑橘類を1箱買って上げたりしていたから、職場の人に、兄を甘やかし過ぎだと言われました。


家では、こんな兄に苦労し、外では、何度もついたり離れたりする付き合いをする内に私もそれなりに成長しました。


昔の私なんて、そう、誉められた人間では無かったように思い返しますが、経験とは偉大だと感じます。


そんな経験があるから、「Sさん」とも今の軌道に乗れたのが、一応の安心感を感じます。


とりあえず、男性に関しては、安定するまでに必ず何度か大きな波乱がありがちでした。


最初に付き合った人だって、兄の借金さえなければ、普通に幸せに暮らせていたと思います。


兄もニートの後に始めた仕事は、給料が少ないけれど、木造の家を取り壊す為に会社に借りたお金も返し終わり、やっと、生活が楽になるって時でした。


私的には、彼らとのカルマは、ちゃんと解消出来たから、一旦、終わったのだろうと思います。


どんな関係にも初め課題があり、継続して、終わりが来ました。


いよいよ、「Sさん」とは「人生の黄金期」を迎える段階に入って来ている気がします。


「家族」というテーマを見る時に、「Sさん」と迎える段階の前にも、私は、それなりに共通する経験をしている事に気が付きます。


ただ生きていた訳じゃない。


「成長」して来ました。


人と生きる事にもがいて、悩んで、立ち向かって来たから「今の自分」がいる。


その事をしっかりと胸において、これからも、何があっても負けずに、今度は「Sさん」の事を支えて行きたいと思います。


ご静聴、ありがとうございました。