叔父の美学と私の。。。 | かこの顔コリほぐし

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東京にいる友人に誘われて

急に行くことになった長崎

グラバー邸から沈みゆく夕陽を

ベンチに腰かけて眺めていたときに

電話がありました。





その主の名前をみた瞬間

私の身体はこわばり

緊張した声ではいと言いながら

即座に席を立ち夕陽の方へ歩いていきました。




叔父の死を知らせる電話でした。




もう長くはないことを知っていました。

知っていて旅にでました。




叔父の友人であった女性Nさんと 

その5歳になる息子Rくん

Rくんを産まれた時からベビーシッターとして

みていたSさん73歳

Sさんは泊まり込みでずっと

叔父の看病をしてくれていました。



叔父はNさんを後見人として

公正証書を作成していました。

そのことは私も叔父から聞かされて納得し

私の母にも伝えていました。



延命措置はしないこと

亡くなってもお葬式はしないこと

お墓には入らず

骨は庭に埋めてほしいこと

それらも叔父からしっかり

言い渡されていました。



亡くなる1週間前、私と従姉に

Nさんから電話がありました。



叔父は危篤状態にあったこと

奇跡的に持ち直して今は小康状態であること

Sさんは寝ずにずっと手を握り

叔父の看病をし続けていること


叔父はSさんにプロポーズのような言葉を

言ったこと

亡くなったあとSさんの精神状態を思うと

親族への対応で煩わせたくないとのこと



なので亡くなってすぐ

知らせないかもしれないこと

それが叔父の意思であることを告げられました。



Nさんは

叔父の意思を尊重したい気持ちと

親族の身になると

ほんとうにそれでいいのか

迷いながら伝えてくれました。



私は叔父の気持ちを尊重してください

母にもその旨伝えますし

こちらのことを不安に思わず

安心していてくださいと伝えました。




私にできることは

ただ見守ることだけ

そう思ったので旅行にでたのです。




叔父はその日SさんとNさんに

見守られながら

自宅で息をひきとったようです。




叔父は配偶者をもたず

子供をもたず

姉兄に見舞ってもらうことを避けて

いました。



私は身内に毒舌をはきまくる叔父に

辟易し、介護から離れました。



NさんとSさんはほんとに優秀な方で

人柄的にも申し分ない方だったので

安心してお任せできたのです。




私が先月、10月25日

叔父を見舞ったときに

叔父はSさんに子供のように可愛い笑顔を

向けました。




叔父は来客があるとSさんが疲れるから

来ても早く帰るようにと

来る人に釘をさすようなことを

言っていましたが

Sさんと二人きりの時間をもちたいがための

台詞だったようにも思えます。




その日叔父は私に

素っ気ない態度で接し、

いつもの毒舌をはき

暗に早く帰れと促すような言葉をむけたのですが

それは叔父なりのSさんへの愛情の

しめし方だったのかもと思います。





叔父は女の人を愛せないタイプの人でした。

これまで思ってくれる女性がいても

そこになびくことはありませんでした。

叔父はそのことを

僕は融通がきかないの と言っていました。



でも最期に献身的に尽くしてくれた

Sさんに愛情を傾けました。

Sさんの献身は性別をこえて

叔父の心を揺るがしたのです。



私はそのことに感動していますし

ありがたく思っています。



Sさんは私からみても

ほんとに素敵な女性です。

Sさんを紹介したNさんも

素敵な方なのです。



こんな縁を引き寄せた叔父のこと

良い生き方をしてきたプレゼントだと

思っています。




心から信頼できる人たちに囲まれ

最期を迎えられた叔父

幸せな人生だったと思います。




11月4日12時半過ぎに息をひきとり

その夕方、亡くなったという連絡を受けました。



私が美しい夕陽を眺めているときに

天から叔父はNさんに命じたのでしょう。

今、かよこに連絡しろと



何よりも美しさを大事にした叔父は

最高のロケーションを選びました。



私はその景色をずっと忘れずにいるでしょう。








長崎への旅を誘ってくれた友人は

建築家であった祖父のことを本にするため

西洋文化の入り口であった長崎を調べていました。



特にこれまで興味をもたなかった

建築、美術品、歴史でしたが

友人と巡るうちに興味がでてきました。



ほんとは建築家かデザイナーになりたかった

叔父


そんな旅の最中でしたので

さらにまた忘れられない旅になりました。



棺桶にもっていけるものは

記憶だと思います。



自分の心にどれだけ美しい記憶をもって

生きていけるのか

それが課題だと思いました。



長文お付き合いいただき

ありがとうございました。