叔父の美学と私の自虐  叔父と叔父の母とのこと | かこの顔コリほぐし

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叔父の癌は2019年の夏に

告知されておりましたが

今年5月までは特に痛みもでず

比較的元気にしており

お仕事もしておりました。



6月に叔父の自宅にお見舞いに行った日の

翌日から発熱し、1人で歩行が困難になりました。

今思うとこのとき最も不安で

死を覚悟しはじめたときだったと思います。


自分らしく品格を保っていようと

思っても身体は思うように動かず

癌の痛みは胸や首に転移して

激痛に耐えていたのだと思います。



なので時に苛立ちを

ピシャリと強い言葉でむけたりします。



かと思えば叔父は冷え性で寒がりなので

足や首や肩をさすってあげると

急にしおらしくなり穏やかな叔父になるのです。



ある日の夜、叔父の首や手をさすって

あげてる時のことです。



「僕のお母さんがね

ある日、よしえ(私の母のこと)には

何も教えてあげてないまま嫁がせてしまった

って言って泣き始めたんだよ。

僕はびっくりしてね。

そんなことないよ、ちゃんとやれてるから

何も心配しなくていいよ。って言ってあげたんだよ。

それまで母親に優しい言葉なんかかけてあげたこと

なかったけど、その時僕は今度旅行にでも行こうねって言ったんだよ。

そしたら翌日亡くなってたんだよね。」



そんなやりとりが前日に。。。



私が1歳になるかならないかで亡くなった

母方のおばあちゃん


母からは52歳で亡くなったと聞きました。

朝、布団の中で亡くなってたと。



その話は私が小さい頃に聞いた話だったので

その時の状況など詳しく

聞いたことはなかったのです。



前日にそんな会話をした矢先の旅立ちだなんて

叔父もどんなにショックだったことでしょう。

享年52歳でした。



でもそれは叔父の母からの愛だと思っています。




その頃の叔父は徳島で

会社員として働いていましたが

徳島が田舎で嫌だと思いながら

生まれ育った場所として

当たり前のように母親と暮らしていたのです。




あなたはここにいる人ではない

東京に行きなさい

そしたらたくさんの人に喜ばれる仕事ができる

あなたがあなたらしく輝ける場所がある

早くここを出なさい



まるでそう、うながすかのような

潔い旅立ちだったようです。





叔父の生家は料亭でした。

着物の帯をパンと叩いてお店に出て行く母親を

お母さんから女将さんになる瞬間として

見送っていたようです。



お母さんはね

お客さんのことも上手にあしらってたよ。



僕たちのお父さんは早くに戦死したでしょ。

子供4人を抱えて何度も無理心中しようかと

思ってたんだって。






なにしろおばあちゃんのお舅さんは

ものすごく気難しい職人肌の

料理人だったそうです。







あれ、叔父にそっくりですね。







叔父は元気にしておりますよ。