今年も残すところもう僅か。
振り返ると今年は怒涛の1年だった。
(昨年もそうだった気がする笑)

めっちゃ頑張ったことも
めっちゃ楽しんだことも
たくさんあったけど、

同時に、
足掻いてもどうにもならない事も
ものすごくたくさんあった。

これまでの人生で
後悔してる事はないけど、
後悔して生きるって
こういうことか‥‥
と、初めて思った。

それもまた、
人生の味わいになるなら、
この経験も、人としての
深みになっていくのだろう。



今までその時々で
色々なものに例えてきた人生も、

「人生はジェットコースター」の時も
「人生はギャンブル」な時も
「人生は壮大なドラマ」だった時も
「人生はお笑い」に進化した時も。

色んな例えがその時々で
しっくりきていたけど、

今年の人生を例えるなら、
「人生は、サイコロ」かも。

サイコロが出る目は
自分では決められなくて、
出た目の数だけ
進まなければならない。

そこに書いてあることを
ただただ静かに受け入れる。

もうそれは運命だから。
そこに書いてあることは、
「体験せよ」という啓示。
必要な学びがそこにあるだけだから。


でもこのサイコロは、
普通のサイコロとは
ちょっと違う。

このサイコロは
人より大きい。
両手を広げて
やっと持てるくらいな。

1人に1つ与えられていて、
この大きなサイコロに
しがみつきながら、
一緒に振られる事になっている。

サイコロが転がされる度に
一緒に転ぶものだから、
振り落とされないように
みんな必死に
しがみつかなければならない。

そして出た目の所に
書かれた啓示は必ずやり遂げる。
その啓示をクリアしたら、
またサイコロが振られていく。


とても過酷な
人生のサイコロゲーム。


そして
1つ1つクリアして
充分に経験値が貯まり
一定の条件を満たした時、
ある事が出来るようになる。

それは、
“サイコロを手離せる”
こと。

ただその事は
事前にも教えられてなければ、
そのレベルに達した時でさえ、
教えられる事はない。

知らなければ
永遠にサイコロに
しがみつく人生を
終わりにする事はできない。

必死にサイコロゲームを
していく中で、
ある時、気づく。

「このサイコロを
手離せばいいんだ。」

出来るかどうかも分からなければ、
それをやってみる勇気も必要だ。


でも、

いつまでも
サイコロの側面にしがみついて
執着して離さなかったら、
一緒に回転して
振り回されるだけだけど、

手離して
それを俯瞰して見ていれば、
振り回されている状況を
ただじっと見ているだけ。

もう充分にそのレベルに達していて
いつでも手離すことは出来たのに、
気付いて行動に移した時が
ゴールの時。

それは同時に
次のステージのスタートでもある。


立ち位置を変えていく。
視点を変える。


もう振り回されることはしない。

ちょっと覚悟も必要だけど、
受けて立とうじゃないの。

サイコロの示す啓示は
きっといいことしか、
起こらないから。

いいこと、とは、
表面だけの良し悪しじゃなくて。
いい経験と学び、ということ。

2023年も、
サイコロのゲームの中に。

俯瞰して見よ。
決して振り回されるな。

出た目で勝負、
その先に。

経験と学びを経て、
成長した私に会える日を
楽しみに。