犬・猫殺処分0を目指して、皆様方の愛の"ワンニャン募金"何卒何卒お願い致します。感謝
一切衆生悉有仏性。(生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 仏性 をもっており,すべて悟りうる)
ワンちゃんニャンコと御一緒に観音巡礼!!
浅草寺は大都会首都東京の繁華街の中にあるお寺。興味深い・もっともっと浅草寺事について知りたいの声は多い。これから、数回に渡り浅草寺を紹介する。
瓜生岩子像
本日は 「新奥山」にある瓜生岩子像(瓜生岩子、誰ですか?私も知りませんでした。ミヤコ蝶々・清川虹子のような、有名コメディアンではありません。辞書で調べたところ、日本のナイチンゲールと称される人物とありました)を紹介します。 文政12年2月15日(1829年3月19日) - 明治30年(1897年)4月19日)女性として最初の藍綬褒章受章者。4歳の時に天保の大飢饉が始まり、生まれ故郷、会津でも天変地異や凶作のため農村は疲弊していた。天保8年(1837年)9歳で父がと死別。その49日後に家が火災に遭う。弘化2(1845)年、結婚し、呉服店を始めるが、夫が死亡。店を畳んで、実家である喜多方に戻る。夫を失い、さらにその後母も亡くす。
夫、母と最愛の人を次々に失い生きる気力をなくす。そんな岩子を諭し励ましたのが、母の菩提寺である示現寺の住職。
「お前より不幸な人は大勢いる、もっと不幸な人のために捧げなさい」と諭され、師の貧者救済の教えに立ち直った。
戊辰戦争では敵味方関係なく手当てにあたり、死者を弔う。そんな岩子の姿は、政府軍の軍人たちを感動させた。
戊辰戦争後は、喜多方に「小田付幼学校」を建て士族の子女の教育に尽力。43歳の時には、東京で窮民救済の方法を学んだ後、喜多方に裁縫教授所を設立。地域の娘に裁縫や機織りを教えて困っている人の面倒をみる。
明治19(1886)年の磐梯山噴火の際には救援活動を行い、明治24(1891)年の濃尾大地震、明治29(1896)年の明治三陸大津波の際にも、岩子は東奔西走、各地でバザーを開催してその収益と募金を、被災者の救済に充てた。また63歳の時には、日本資本主義の父といわれた渋沢栄一に要請され、彼が院長をしていた東京養育園で幼童世話係長として働く。
その後も、会津若松、会津坂下に育児会、喜多方には産婆研究所をつくる。貧しくて医者にいけない人たちのための私立病院も建立し増した。日清戦争では、傷病兵救護のために水飴を贈るなどの活動もしている。これらの活動が認められ、明治29(1896)年、女性としては初めて藍綬褒章を受章。翌明治30(1897)年、69歳で亡くなりました。愛と慈悲に溢れ、人生のすべてを人のために捧げた岩子。生前のさまざまな活動が称えられ、死後7つもの銅像が県内外に建てられた。その一つが浅草寺内に有る。 瓜生岩子、福井の非道な動物虐待行為、これをみたらなんとするであろう?
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