夢追うだけか…経営者になるか | 八百鮮ではたらく社長のブログ

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生鮮食材専門店「八百鮮」社長の奮闘記です。
大阪4店舗、名古屋に1店舗!元気に営業中
「株式会社八百鮮」社長。

今日は大阪で今から会議。

八百鮮は9月決算なので、我々の一年間を9末で無事終えることができた。今期の振り返りを踏まえての重要な会議。

10月10日に野田本店のリニューアルオープンを控えており、すでに次に向かって走り出してはいるが、大きな節目を迎えたと思う。

これで第7期を終えて、今日から第8期を歩み始めている。

今期を振り返る前に、もっと大きく遡ると…
名古屋への出店が八百鮮にとって最大のターニングポイントだった。
大阪で「感動ある人生を共に生きる」という理念の下我々はがむしゃらに夢を追いかけて走った。
いろんな想いを持って僕たちは創業した。
夢や希望を持てない時代に一石を投じたいと思った。若者がもっと野心を持ってもいいんじゃないかと思った。この仕事は本当はかっこいい仕事なんだと伝えたかった。
想いと同時にビジネスとしていかに成功させるかということも必死で考えた。

走って…走って…走った…草創期の3〜4年は走ったと思う。走りながら考えたし、問題が出てきたら走りながら修正していった。
側から見たら、ハラハラものの経営だったと思う。無謀だった部分もあると思う。でも常にウルトラCを狙って、ギリギリの戦いで勝負してきた。

4年経って八百鮮は3店舗作り、従業員も30名ほどになっていた。順風満帆とは見せかけだけで、八百鮮は利益の出せない体質から抜け出せないでいた。
全ては思い通りに進まない、こうしてああしてこうすれば利益は出るはずだ。
そう思って毎年スタートするが、思い通りに行ったことは一度もなかった。

想いだけでは…夢だけでは…理念だけでは飯は食えないのか…

そんな葛藤が自分の中にものすごくあった。


そんな中、僕たちに神が舞い降りた。
名古屋のこれ以上ない条件での出店の話が持ち上がったのだ。

想いや夢や理念だけでは飯を食っていきたい。そういうプライドのようなものもなかったといえば嘘になるが、経営者として30人の従業員を守るということと、会社が潰れれば夢も理念もただの寝言…という思いがそれを凌駕していった。結果、名古屋出店を決意した。

これを機に、まずは収益構造をきっちり勉強して制度設計をちゃんとしようと決意した。
ただの寝言言いから経営者にならなくてはならない瞬間だったと思う。

その決断から、3年が経った。

名古屋出店により会社は起死回生の復活を遂げたと思う。あのまま大阪だけで運営していたら間違いなく、三国店の出店はなかったし、今のような待遇も従業員に用意できていなかっただろう。

そういう意味では、名古屋出店から数字を取りに行き、売り上げは3年前の4倍になり、ほぼ出なかった経常利益は少しづつ出るようになっていった。

それでもまだやらないといけないことは山積みだ。労務管理や、経理、人事、総務などの本社機能はまだまだ未熟そのもの、そういうものに着手できるスタートラインにようやく立てたのかもしれない。
逆に思えば、そういったものを何も持たないまま、創業し店を増やし、従業員も増えて、よくここまでやってこれたと思う。これは本当に仲間に恵まれたとしか言いようがない。感謝だ。

今からは会社として組織を機能させていくことはもちろん、大阪での商売が収益構造を持つことが会社にとって重要になってくると思う。
想いだけでスタートしたこの事業が、名古屋という強い追い風を受けて、大阪で育つかどうか、つまり、思いが実り報われるのかという戦いである。

10月10日に本店をリニューアルオープンする。
創業の店を大きく転換させるということの意味はここにある。

何のためにあの時名古屋出店を決意し、この追い風をどう活かすのか。

僕の中では、本店がリニューアルする意味は深い。意味付けとしては申し分ない戦いだ。

これに勝ってこそ、八百鮮は次の進むべき方向をつかむことになるだろう。

あの時、確かに一旦置いたものがあるかもしれない、それは夢や希望や想いといった、僕が一番大切にしてきたものだったのかもしれない、それよりも会社を守ること・収益構造を手に入れることを優先したかもしれない。
しかし、僕は忘れたわけじゃない。一旦置いたものはまた取りに帰ることが出来る。

そろばんを右手に持って、八百鮮は帰ってきたのだ。