松阪散歩~松阪城・本居宣長記念館 | 旦那のいぬうちに・・・

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旦那の転勤にくっついて、千葉→大阪→鳥取→三重の生活を愛猫「てん様」と楽しんでいます。
各地の観光と習慣・食べ物の違いや、趣味・猫のてん様のことなどなどを書いています。

ども。みなさま、こんにちは。

きょうは寒いですね。暖かかったり寒かったりで体がついていけません。皆さまも体調管理に気を付けてください。

 

さて、お出かけネタです。

 

今回は、松阪周辺をお散歩。

 

ところで、みなさんは、「松阪」をどう読みますか。まつざかですか? この松阪はあの高級牛の松阪牛でも有名ですが、それでは「松阪牛」をなんて読みますか?

 

私もね、三重県に来るまでは松阪は「まつざか」と言っていました。

違うんです、「まつさか」が正解。さに濁点が付かないんです。

 

そして、あの高級牛の松阪牛は、「まつざかぎゅう」ではなく、「まつさかうし」が正解・・・?

 

・・・・・・でもテレビではアナウンサーさえもまつざかぎゅうって言っちゃってるよね。時々まつさかうし。やばいのはまつざかぎゅう。「ざ」はダメですよ~。って言っちゃってるアナウンサーに突っ込んだことあるわ。

 

 

 

松阪はまつさかの読みが絶対です!

 

では牛の読みはどうなのでしょう。うし? ぎゅう? どっちなのよ!!

まつさかぎゅうとか、まつさかうし、といわれてるんですよ。

 

悩んだので調べてみました。

 

どちらでもいいそうです。

生きている牛をうし。精肉をぎゅうと呼ぶという説もありましたが、次の説が、まあ、無難でしょう。

 

平成13年に、三重県ブランド牛として松阪牛を指定したときに、まつさかうしの読みに統一したそうですが、うしでもぎゅうでもどちらの読みでもいいそうです。

 

なので、松阪の読みだけが正しければOK!!牛はどちらでもいいことです。ということでした。

松阪をまつざかと呼んだら違~う!!といわれるかもしれない。ほら、茨城県の人がいばらぎ、といわれると、強めに「き!」っと言い返すようなことが・・・・・・あるかどうかは分かりませんが。

 

先日、ローマ法王が正しいのか、教皇なのか、という記事を目にしましたが、私の松阪と牛はだいぶスケールが小さいお話でしたね。

 

 

と、いうわけで、松阪をお散歩。

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石垣が私の好みです。

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きっちり積まれた石垣よりも、こういうふうにいろいろな大きさ形で積み上げている石垣が超好み。それにこの、角のきれいなラインもいい。

 

松阪城跡なので建物はありません。

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御朱印ではないけれど、登城記念を入手。

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こちらは、松阪市立歴史民俗資料館でいただけます。¥300

 

次は本居宣長記念館へ。

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歴史の授業でちょこっとしか出て来ない人物だったけれど、て古事記好きの私にとってこの人はとても偉大な人物なんですよ。

この人がいなければ、古事記は消えていたのかもしれない。

 

本居宣長は18世紀の日本古典の研究家。国学者。

松阪木綿商人の子として生まれましたが、「商いのすじにはうとくて、ただ書を読むことをこのみ」と述懐するように、商売には興味がなく、和歌へ関心を深め、源氏物語を読むようになりました。そんな息子に、母は、医者になるように勧め、宣長は京都へ行きました。

医者として働きながら、源氏物語などの日本の古典を講義し、また、35歳頃から35年をかけて古事記の注釈書を書き終えました。

 

宣長の鈴屋と呼ばれる書斎がこちら。

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1階

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2階には上がれません。

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小さなお庭もありました。

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記念館の近くには、本居宣長ノ宮があります。image5.jpeg

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御朱印はこちら。

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本居宣長の人柄が詰め込まれた御朱印です。

宣長が好きな山桜と鈴の印。

本居宣長の歌「しき島の やまとこころを人とはば 朝日ににほふ 山さくら花」

 

参拝を済ませて

御城番屋敷の通りを行き、

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次の目的地は旦那君の好きな甘味を買いに、柳屋奉膳という和菓子屋さんへ向かいます。

 

買ったのは老伴。なんて読むんだよ? ろうはん? ではなく、「おいのとも」と読みます。

延長という不老長寿を意味する文字と、幸せを呼ぶ鳥、鴻が表面に描かれています。

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最中かと思いきや、裏返すと、

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最中の皮はない。

羊羹みたいな餡? の表面は溶かした砂糖を固めたみたいにパリパリ。

 

私は羊羹とかあんこが苦手だけど、旦那君は「うまい!気に入った」と大喜びで食べていました。

 

この老伴は天正3年(1575)に作られたお菓子で、常に傍らにおきたい一生の伴侶を意味する、中国の老伴(らおばん)という言葉を当てているそうです。当時からこの形だったそうですよ。

 

では天正3年といったら、どんな時代だったんでしょう。

三河国長篠城を竹田勝頼が攻囲。

設楽原で織田信長軍と徳川家康軍が武田勝頼軍と戦い、武田軍が敗走。世にいう長篠の戦いというやつです。

ちなみに、安土城の天守が完成したのは、7年。豊臣秀が大徳寺で大茶会を開いたのが13年。千利休が自害したのは19年。

 

この時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信などの歴史上有名な人物がいました。

茶道がたしなみだった時代ですから、もしかした、戦国武将も老伴を食べていたかもしれないですね。

 

 

きょうもながながとここまで読んでくれてありがとうございます。

 

それではみなさま、きょうも良い一日を!

ごきげんよう(@^^)/~~~