鉄道自殺は勢いなのか?それとも実は間接自殺か?自殺志願者を救うには? | かんみろぐ

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過去最悪! “鉄道自殺年間647件”が道連れにしているもの (1/2) - Business Media 誠 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1005/06/news033.html

関東圏に住んでいると、1日幾度も、「人身事故」という単語を聞く日もある。
件数は大体以下のとおりの件数である。

関西の友人曰く「そっちは毎日なんだね」
私「まぁね。人身事故と聞くと調子悪いとふらふらさまよいたくなるよ。レールの中を」
友人「おいっ!」

てな訳で、「鉄道自殺をよく考える人間」があえてこの記事について書いてみようというわけである。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1005/06/news033.html

過去最悪! “鉄道自殺年間647件”が道連れにしているもの (1/2) - Business Media 誠 via kwout


まぁ、こんな不思議話から始めようか?
御存知の通り、私は京浜東北線や埼京線・武蔵野線をよく使う埼玉県民である。

で、以前京浜東北線に乗り大宮駅に向かっていたが、終着駅になってもお経を唱えている人が居た。
その後私は帰宅のため、埼京線に乗り換え家の向かったのだが・・・



写真でお察し下さい。である。
しかし当然のごとく、私がこのお経を唱えてる人を見たのはこの情報前である。
私はスマホをいじってたため、一旦座って用事をしませてから、乗ってた京浜東北線は終着駅の大宮から出発しているのを見送っている。

で、この写真は埼京線から武蔵野線に乗り換える際、武蔵浦和駅で撮ったものだからだ。


なんて、多分そのお経を唱えてた人は偶然(の筈)だが、ミステリーとなってしまうのが日常である。

なんてことだろうね。

後もう一つ話をしよう。この春ぐらいだろうか?京浜東北線に乗っていた時だ。
「次の停車駅で人身事故が発生したのでこの電車はここで一旦停止し、次の駅で終点と致します」
「え?」である。

なんとか駅に着けたのが当然「事故が起きた次の停車駅」なわけで、降りたらそこにはガラスにヒビが入り、返り血を浴びて変な位置で止まっている山手線と人だかりが・・・
降りたらうっかりご遺体を見ました…
中にはスマホでご遺体撮影をしてる若者も多く私は驚かされたものです。

もう日常の一つなんだろうか? 鉄道自殺が。

この記事の2ページ目にこのような指摘がある。

江口昇勇(のりお)・愛知学院大教授(臨床心理学)は、「多方面に影響を与える鉄道自殺を選ぶ背景には『自分の存在を何とか知ってもらいたい』との思いがあるのではないか」

私は、なるほど。とも思ったが、記事にあるように「後先を考えずに飛び込んでいる」指摘も捨てがたい。
しかし、本当はどうなんだろう?と思うと私はどちらも違う気がするのである。

自分が「人身事故という言葉に引きずられて、飛び込みを考える時」の心境を自己分析してみようと思う。

自分がこの言葉に引きずられて魅惑を感じてる時、たいていは「人に傷つけられて、社会に生きていることが心底、今すぐ投げ出したいほど嫌になっている時」である。
どうせ、社会に居て役に立たないと散々、言われ、嫌われている人間。
そして、頑張っても報われず、社会に棄てられてきた人間だ!
飛び込んでちょっとの間首都東京の機能を麻痺させるぐらいいいじゃないか。

と思っている事が多い。

私は「希死念慮」を持って生きてるからかもしれないが、生きてることが罪深く思っている傾向はある。
この「罪深き人間」「穢れた人間」という部分が辛うじて鉄道自殺を止めている。
「罪深き人間・穢れた人間」が他の人様の生活を邪魔してはいけないのだ。
だから鉄道自殺を選ばない。確実性が高いのに。

では私から見て、自殺を防止するには?

って考えるとホームドアはある方がいいと思う。寧ろ必要。
まずはこれで絶対に転落は防げれるようになる。

しかし、積極的に自殺を選ぶ層へのアプローチは?となる。
精神病院に閉じ込めてもまずは意味が無い。
もちろん薬を処方するだけでも意味が無い。

話を聞いて、伴走する人ではなかろうか?
死んで、心から悲しむ仲間ではなかろうか?

しかも「社会福祉士・精神保健福祉士・カウンセラー」等、援助職を生業としてる人ではない。
自殺を選ぶ人は彼らを頼らない・頼れない。なぜなら「仕事だから」と判っているのだ。

自殺を選ぶ人には何処かしら孤独を抱えているもんだ。
孤独を和らげる必要がある。
しかし職業人は休みがあり決まった時間がある。
友人や家族が居ないひとはここで孤独を抱え引き篭もるのである。

場合によっては死刑(確実に殺してもらえるから)を求め「間接自殺」と呼ばれる現象を引き起こす場合もある。
秋葉原連続殺傷事件や心斎橋連続殺傷事件がそうである。
故・永山則夫氏の連続殺傷事件も広義では「間接自殺」なのかもしれない。

「間接自殺」の原因に深く絡んでいるのは「孤独」だと私は分析する。
職業人ではないんだ。救いは。

故・永山則夫氏が生きようと決心する理由も職業における支援者ではなかった。
ただの一般人たちが彼を慕い、彼に生きる力と、そして彼は才能も認められ、手記を出すチャンスも得た。
初めて永山則夫氏が「社会から必要とされたと感じた瞬間」ではなかろうか?
それを知ってからの死刑である。

残酷と私は思う。素直に。

犯罪被害者である私の視点でも残酷と思う。
救いが必要なのだ、加害者も被害者も。

そして日本で一番の自殺リスク群は「生活保護受給者」と「精神障碍者」であることも記しておく。