野麦峠にて歴史に触れてみる | 愛知県春日井市の社会保険労務士のカンちゃんのブログ
2018-10-01 17:02:12

野麦峠にて歴史に触れてみる

テーマ:旅・風景

ここ野麦峠は、岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置し、

飛騨国と信濃国を結ぶ旧野麦街道の峠であり、標高は1,672 m。

 

明治時代から大正時代にかけての時代は、富国強兵策をとって

いたこともあり、多くの飛騨地方の女工たちが職場のある信州

岡谷、諏訪地区へ集団で働きに行くことを余儀なくされたようです。

 

明治時代の生糸の生産は、当時の輸出総額の3分の1を支えて

おり、現金収入の少なかった飛騨の農家では、12歳そこそこの

娘達が野麦峠を越えて信州の工場では、低賃金で、しかも1日に

13~14時間という長い時間働かされ、病気になっても休ませて

もらえない位、厳しい生活だったそうです。

 

さらに女工の寄宿舎には逃げ帰ると困るので、鉄のさんが填めら

れていました。

 

中には逃亡する者もいたということですが、近隣の評判も考えると

逃す訳にはいかず、街道には見張り番が目を光らせることや

警察への通報によって捉えられて職場へ送還されるといったことも

度々あったようです。

 

当時の女工は重要な労働力でもあり、およそ5年超程すれば、

100円工女と呼ばれる誰しもの目標である地位になる者もいた

といいます。

 

1年間働いて100円もらえる人は優秀な人で、誰でも1日も早く

100円工女になれることを願っていました。

 

また故郷へ帰る年の暮れには、雪の降り積もる険しい道中で、

疲労や低体温症によって郷里の親に会うことも出来ず死んでい

った娘たちも多いといいます。

 

 

山頂には、お助け小屋、峠の資料館などの建物、展望台などが

あります。

 

出稼ぎ女工の悲惨な面を強調して記してきましたが、実際の女工

たちは、田舎では聞けなかったラジオで好きな歌手の歌を聴くのが

楽しみだったとか、製糸工場では白いご飯が食べられて嬉しかった、

女工は憧れの存在だったなど、時代や出稼ぎの行き先によっては

悲惨な面ばかりではなかったようです。

 

 

ノンフィクション「あゝ野麦峠」で知られ、「あゝ野麦峠」の主人公、

政井みねの像も必見です。

 

女工哀史を語るうえで悲しい

物語を秘めた所なのです。

 

一度は訪れてみる価値は十分にあります。

 

<追伸>

①12歳そこそこの娘達働くことができたのはなぜ?

 

労働基準法の前身である当時の「工場法」では、就労

可能年齢が12歳超とされていたため可能であったと

考えられる

 

②1日に13~14時間働くとはどういうこと?

 

①同様所定労働時間が12時間とされていたこと、

残業が発生していたと発生していたと考えられる。

 

③1年間働いて100円とはどの位の価値がある?

 

当時100円あると家が建つと言われていたことを考慮すると

現在でも相当額と考えられる。

 

 

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