白血病になった従兄弟の為に、

誰かのチカラになれれば、

そう思って、骨髄バンクに登録をしたが、

結局、私の差し出した手は、

誰も捕まる事はなく、

私自身が、引っ込める羽目になった話。




昔話です。


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おおよそ10年前、
写真にありますように、
骨髄バンクの適合通知が来た。
確か30年くらい前に登録してました。


ようやく、ある種の『運命の人』と、
巡り合う事となったようで、
もちろん、前向き検討していくつもりでした。



当時、実家から、転勤先に移ったばかりで、
提供となると、独身の私は、親に同意と、
提供手術時の入院の世話をお願いしなければならない。

そして、万が一のドナーである、
私自身の手術失敗での死亡も覚悟してもらう訳で…。
母に電話して、大まかな説明はしました。


かねてより、
『死亡時の臓器提供の意志あり』等と、伝えていたので、
協力して貰えそうな感じではあります。
というのも、私も、母も口にはしませんでしたが、
白血病で20代後半で亡くなった私の従兄弟の事が、
絶対、頭をよぎったはずだから‥‥です。



奇しくも、阪神淡路の震災が発生した年でした。
私は、震源に近い尼崎で被災して、

何の準備・身構えも無くて、

運良く生き残った。


それに対して、

助けようという治療を受け、
治るんだという確固たる意志でいた従兄弟は、
故郷の地で天に召された。



生き死にの無情を、

あれほど感じた事はなかった。

震災の片付けが一区切りした、

大地震から2週間した日に、

休みをもらい、帰省した。

その帰省の前日に、

従兄弟は、帰らぬ人となっていたとも知らず。


帰って来た日に、

訃報を知り、もんどり打って泣き叫んだ。
同じく、
母の あんなに泣く姿を、その時はじめて見た。


葬式の日。叔父叔母の、

「兵庫から、わざわざアイツの為に、、、。」

真っ赤になった眼で、手を握ってくれた。


オレは、生きて帰ったから、

「お前も頑張れ!」と、励ますつもりだったのに。

嗚咽しか出ない私に、

大伯母が、優しくハンカチを差し出してくれた。



帰省して、回復どころか、

余計にココロを病んだ人になってしまった訳でして。



あんなどん底の悲しみが、世の中に起こらない為にも、
私に出来ることは、したかった。
気がかりは、
輸血と同じで、ヘモグロビンの数値が、
私は、低いということであるのと、
会社側の理解が得られるか?、否か?という点。

食事療法で、何とかヘモグロビン値は改善させたかった。
会社も、何度か話して、繁忙期を避ければ、

認めてくれるという話も貰えていた。


しかし、

ヘモグロビン値は上がらず、

進展のないまま、

事態は、急変してしまいました。



【続きます】


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