認知症という病気はいくつかの要素が加わって起きること | こうじのブログ

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昨日、兄から電話があり、父親の認知症がかなり進んでいることを聞きました。

 

兄も神奈川に住んでいるので、一緒には住んでいないのですが、母親から電話があり、たぶん話を聞いて欲しかったのだと思います。母親が自分から兄に電話する事も今まで殆どないので、そうとう心配してのことだったと思います。

 

父親が、家にいるのに「帰りたい」と言い出したようです。何処に帰りたいの?と問いただすと、帰りたいという場所は、昔自分が高校に行っていた町の場所、会社勤めをしていた場所のようです。この状況から自分の家にいるという感覚もわからなくなってきているようで、「ここはお父さんの家ですよ」と言っても、その自分の言い分を聞いてもらえないと思ったのか、怒りをあらわにすることも多くなってきたようです。

 

一度だけ、その怒りが頂点に達したのか、母親の腕を掴むことがあって、母親はそれに危険を感じたので、今回兄に電話をしたのだと思います。

 

こうした話は、もしかしたら今では多く聞く話かもしれませんが、身近にこうしたことがあると本当にやるせない気持ちになりますね。昔の父の事を振り返ってみて、そうなってしまう要因はいくつもありました。

 

定年で会社勤めを辞め、「自分はこれから好きな事をする」と畑を借りて農作業をしたり、いろんなことをしていましたが、すぐに辞めてしまい、そして毎日、友達とも会わない、たまに親戚に会ったりはしてましたが、母親としか会わない生活をこの後、ずーと続けていました。理由は人に会うと気を使ってしまうから。。ということでした。父親も言わなかったですが、よっぽど人との関係性に悩みを抱えていたのだと思います。こうした老後の生活をどう過ごすのか、言い換えると自分の生き方にも繋がる事で、これが病気になってしまう要因になる事も多くあります。

 

そして、以前は殆ど食べていなかった、アメやチョコレート、菓子パンなどの甘い物をたくさん食べるようになり、いくら言っても変えようとしなかったです。自分が今まで会社勤めで我慢してきた分、これからは自由にすると決めたのだと思いますが、それが悪い方に進んでいる事は感じていました。ちょっとしたことで怒るようになったのも、気にはしていました。

 

一番大きかったのは、足を骨折して、一時期歩けなくなったことが多きかったと思います。認知症の症状が出始めたのは、この歩けなくなってからです。その後母親と歩いていたようですが、それも長続きせず、この時、本当は嫌だと言っても、少しずつでも歩かせるべきだったと思います。

 

患者様でも、旦那様が軽度の認知症になった時に、必死になって改善につとめたことで、改善された方もいました。毎夕に一緒に歩いたり、食事も砂糖は控えさしたり、生活を改善することを一緒になってやっていったそうです。それには、認知症という病気がなぜ起きるのか?このことをこの方は勉強されました。知識を得て、実際に行動に移したのです。軽度の認知症には改善の可能性があるということを知ったからです。

 

認知症とは、こうしたいくつかの要素が加わって、少しずつおかしくなっていき、その間いくつかサインが出ます。こうした時に何をするのか?この事が大切になります。父親は10数年ぐらい前にちょっとした症状が起き始め、この10数年の間に実際には何も出来ていなかったです。家族のいろんな状況があって、奥さん(母親)も旦那様の面倒を見れるような体力や精神状態などいろんな条件もあると思います。難しい問題ではありますが、母親が元気な家庭、家族は何かあっても何とか良い方向に行くような気がします。家庭の柱は母親だと感じます。

 

 

父親の最初の症状は、何気ないと思うようなことでした。自分のカメラの操作がわからなくなって、それを何時間もカメラをいじって、操作ができないということがありました。今まで自分が操作をしていたことが急に出来なくなった事、説明書を見てもわからないという状態になったいました。

 

こうした時に、家族が気づくためにも、今は認知症のことを一人一人が勉強しないといけないのだと改めて思いました。

 

横浜ホリスティック治療室

 

 

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