死に際に後悔したとて、後の祭り。 | 比類なきイノベーションを起こせ! ~ by KANGLO CORPORATION ~

死に際に後悔したとて、後の祭り。

何人たりとも、人生は全て積み重ね。

 

これ、はっきりとした道。

 

善行をどれだけしてきたか、悪行をどれだけはたらいたか。

 

己がどこに行こうが、どの世界に居ようと、見事に姿をくらましたとしても、因果応報はどこまでも付いて廻る。

 

今世でなくとも、人生続くのだから、積み重ねたものは、次の生涯まで引き継がれていく。

 

死んでご破算ではない。

 

然し、物カネ、名誉、賞賛、実績、権力の類は、積み重ならない。

 

これ、死んだら終わり。

 

この実相では、至極当たり前の世界観が人間には理解出来ない。

 

なぜならば、細胞に刻まれた真理・道理の類を思い出す感性を失ってしまっているからだ。

 

それはそうだ。

 

物カネ、賞賛欲しさに奔走する毎日。

 

虚構を掬ったところで実態はなく、しかもその器はスカスカの笊ということだ。

 

 

人生で積み上げられるのは、経験に基づいた善行や悪行。

 

即ち、業。

 

これに、真理・道理をどれだけ悟れたかが加わる。

 

このことを人間の宿命という。

 

そして人間は、生涯孤独である。

 

これを克服することも宿命。

 

人間、傍に誰がいようとも、自分自身の人生ということだ。

 

親や身内がどうあれ、自分自身がどうなのか。

 

善行も悪行も、真理・道理の学びも、全て自分次第。

 

誰が何ともすることが出来ない。

 

誰も己の人生の積み重ねに、代わりに足したり、引いたりすることは出来ぬ。

 

従って、日々の生活だからと、人生に影響のないことにばかり時間を費やし続けるのは、阿呆ということだ。

 

 

そのことが分かった時、これまでの生き様に愕然とするであろう。

 

自分の人生、何一つ善行を積み上げられていないし、悪行ばかり。

 

何一つ真理・道理のことを学ばなかったことを死に際に後悔したとて、後の祭り。

 

今世、どれだけ優秀で、どれだけ富を持ち、華々しい実績や権力を持っていたとしても、死んであの世で問われるのは、そこではないのだよ。

 

 

この単純な真理、いつまで経ったら分かるのかのう…。

 

 

 

 

 

そのことを肝に銘じ、これまでの生き様を見直し、何を積み重ねてきているのかを把握し、悪行の類は、今世中に清算し、善行のみを重ね、真理・道理の探究をし続けます。

 

 

 

 

有難う御座います。