発達障害、という言葉は、できたら何か他の言葉に変えたほうがいいように思いますが、今のところこれしかないのでそう表現することにします。

 

学校にいたころは、保護者に発達障害かもしれないと思ってもらうためだけに、1年をかけたものですが、今ではかなりあっさりと伝えるようになっているようです。

 

が、それを子供に話すときはかなり要注意。「事実だから」と子供の気持ちを考えずに言ってしまうと、それがもとですべてが狂ってしまうことがあります。

 

ずいぶん前ですが、塾に入ってきて、なかなかすんなりとは上がらないながらも頑張って勉強して、良くなってきた矢先に、発達障害の診断があって、支援学級に入ることになった子がいました。

その子は、塾では勉強する気が高かったのですが、その日を境に、何もしなくなりました。「どうせやってもむだやし」という解釈になってしまったのです。

学校と保護者との間で話は進んでいて、最後の最後に伝えたもようで、子供にしたら寝耳に水、「やってもできない」と言われた気持ちになったのです。

塾で荒れはしないものの、寝るようになって、手を尽くした後、お母さんに話をして辞めてもらうようにしました。

 

様々な課題を内包している問題です。誰でも上手くできる訳ではないと思いますが、もっと良いやり方はあったと思います。

それは、その子を理解すること。その子のきれいな心も、ちょっとわるい心も、弱い心も、わかって話をしないと、いきなり思ってもみなかったことを事実として突きつけられると、何かおかしくなることは誰にでもあり得ることです。

伝えようとする中身が、どんな衝撃を与えるか、まずは話すほうが受け止めてから話をしないと伝わりにくいでしょう。

 

発達障害の子にムリヤリ勉強させるのはかわいそうと思うかもしれません。

それは、ごり押しをしたらそうなりますが、別のやり方があります。今はできないけれど頑張って、一定の成果を上げることは多くの場合に可能です。

発達障害があっても可能です。

 

それでも、やらせるのはかわいそうと思うなら辞めておけばいいのですが、それでも勉強することが好きになったら、やらせればいいのです。ムリそうだからといって、やりたいことを取り上げていいものかどうか、よく考えるべきですね。

 

「発達障害に勉強はムリ」という新しい偏見。これもまた、差別の温床の一つとなります。この子は、残念ながら伝え方の誤りからしぼんでしまいましたが、うまく伝えていれば、ちがった結果になっただろうと思います。

 

方向転換をするときは、子供の中のいろんなことを理解しながら、伝えられるといいですね。

必要があればお問い合わせください。