登城日 2015年 2月11日(水)晴
難易度 ☆
場所 埼玉県東松山市松葉町1-1-58
幕末に造られた前橋藩の陣屋です。
東武東上線東松山駅から北へ進み、東松山市役所を目指します。
敷地の一画に松山陣屋跡の碑が建っています。
説明板。
【松山陣屋跡】
東松山市指定史跡(昭和36年3月8日指定)
幕末における東松山市域の領地は、藩領、旗本領、幕府直轄領として領有され、市域の約半分の領地が川越藩主松平大和守家直克に管理されておりました。
松平大和守家は、寛延2年(1749)の国替えにより、姫路から前橋藩主となりましたが、度重なる利根川の氾濫による前橋城の損壊により、明和4年(1767)松平朝矩のとき川越藩に移転しました。
川越藩への移転から100年後の慶応3年(1867)、藩主松平直克のとき、4年の歳月をかけて再建した前橋城に帰城することとなり、武蔵国比企郡を中心に前橋藩の飛び地として、約62000石余の領地が残ったため、これらの領地を治める必要から、慶応3年(1867)「松山陣屋」が置かれました。
現在の松葉町一丁目のほぼ全域に渡る大規模なもので、幕末の動乱期を背景として主要施設は、堀と土塁に囲まれた堅牢な構えとなっています。
陣屋は、大政奉還後の明治4年(1871)の廃藩置県により、建設からわずか4年でその役割を終えることになりますが、当地方発展の礎となりました。
藩領はその後、前橋県、群馬県、入間県、熊谷県を経て明治9年(18766)現在の埼玉県に編入されることになります。
平成25年6月
東松山市教育委員会
配置図を拡大。
陣屋跡を西へ。
この辺りが西端かな。
西へ出っ張っている所。
月輪道。
月輪道を東へ。
配置図だとこの辺りかな。
月輪道と小川道の合流点。
八幡神社。
社殿。
ここは鉄砲場跡。
【松山陣屋鉄砲場跡】
慶応3年に松平大和守の前橋藩松山陣屋が現在の松葉町1丁目に創設された時、この八幡神社境内は鉄砲場でありました。
この八幡神社と子育稲荷社は、当藩が姫路城時代の寛文7年頃から藩士の守護神として信仰された社で、慶応3年に川越城より当陣屋内に、其の後現在地に奉遷されました。
なお、明治10年の西南戦争に元陣屋付藩士9名が従軍し、其の一人山田鑑次郎が戦死されたので、護国神社として合祀されております。
幕末の風雲急を告げる頃
村垜を睨む武士の影立つ
昭和55年5月吉日建立
松山陣屋研究会
南側には城下町があった。
今度は陣屋跡の南端を東へ。
表馬場があった。
広小路の辺りかな。
この辺りに表門があったのかな。
1周しました。
僅か4年と短命だった松山陣屋でした。
(おまけ)
東松山と言えば、「やきとり」。
市内で一番有名そうな大松屋に行ってみたが、定休日だった。
駅前のひびきへ入る。
みそだれが特徴。
おいしかったです。






















