上原城 その2(信濃国) | 三日月の館

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電車から見える看板。

登城口。

本丸にある金毘羅神社の鳥居すべります!

登って行く。

腰郭。

さらに登って行く。

石がごろごろ。

切岸。

三の郭到着!

小学生(?)が書いてくれた説明板。

表の絵は良く見えず。

城下を見下ろす。

手水鉢。

金毘羅神社。

本物かと思った。

脇からさらに登って行く。

二の郭から主郭へ。

説明板。

長野県史跡

【諏訪氏城跡上原城】

昭和46年5月27日指定

 

上原城跡は諏訪盆地を一望する金毘羅山頂(標高978m)にある。

その遺構としては主郭・土塁・二の郭・三の郭・曲輪・空掘・物見石等があり、上原城の中腹の小字板垣平(おおよそ1ha)には居館跡がある。

この城は、北は永明寺山を背に、北西に桑原城、東に鬼場城等をひかえ、前方南には上川や宮川を隔てて干沢城に対し、諏訪上社(本宮・前宮)を見下ろした中世の典型的な山城である。
築城の年代は詳らかでないが、室町時代の後期、文正元年(1466)頃より、諏訪惣領家当主信満がこの城の中腹に館を構え、 上原郷に城下町をつくった。
その後、諏訪氏は信満-政満-頼満-頼隆-頼重の五代70余年にわたり諏訪地方を統治したが、天文11年 (1542)7月、甲斐の武田晴信(信玄)によって滅ぼされ、惣領家諏訪氏は滅亡した。
以後、上原城とその館は武田氏の諏訪地方統治と信濃攻略の基地として、天正10年(1582)武田氏の滅亡まで約40年間続いた。
この城跡は昭和46年5月27日、長野県史跡に指定された。
なお、三の郭にある金毘羅神社は、頼岳寺18世尊応が文化2年(1805)に頼岳寺鎮守神として、四国の讃岐より金毘羅大権現を勧請してこの地に祀ったものである。

 

昭和62年3月

長野県教育委員会

茅野市教育委員会

 

要図を拡大。

土塁が崩れますのでここからは登らないで下さい!

傷つけないように主郭へ登る。

説明板。

何かの建物跡。

三角点。

大堀切を見下ろす。

二の郭を見下ろす。

下りて行く。

 

物見岩。

三の郭から主郭背後へ。

石仏が建ち並ぶ。

大堀切。

大堀切を進む。

先は竪堀となっている。

戻る。

反対側は連続竪堀。

はなれ山から主郭を見る。

はなれ山から永明寺山公園側を見下ろす。

ちょっとした駐車スペースがある。

説明板。

城址碑。

竪堀。

記念碑。

説明板。

案内図。

戻る。

こちら側も結構な斜面ですね~

南アルプスの山々が見えました。

下りて行く。

再び板垣平。

板垣屋敷通りを下りて行く。

本物?

右、頼岳寺。

真っすぐ下りて行く。

この辺りに屋敷が建ち並んでいたんだろう。

振り返る。

大門通を少し進む。

○○翁の碑。

塔所小路へ曲がる。

何て書いてあるのだろう?

クランクしている踏切を渡る。

渡った所で塔所小路を振り返る。

さらに進む。

甲州街道から塔所小路を振り返る。

塔所小路の碑。

さらに進む。

大町通りの交差点で振り返る。

大町通りの茅野側は畑で一部途切れている。

片羽通りを進む。

上原城を見る。

直角に曲がる。

甲州街道との交差点に片羽通りの碑。

上原北交差点から先は播磨小路。

播磨小路の碑。

甲州街道を上諏訪側へ進む。

御社宮司社。

番匠川通り。

渋沢小路。

備前坂。

甲州街道はここまで。

戻って、遊女小路を進む。

中央本線を潜る。

この辺りで遊女小路と参道はズレている。

突き当りに頼岳寺。

説明板。

境内図を拡大。

総門。

山号は少林山。

杉並木の参道。

説明板。

梶の木。

説明板。

理昌院。

元は上原城の主郭下にあったのかな。

手水舎

階段を登る。

山門。

鵞湖禅林は頼岳寺の別名だそうです。

本堂。

奥に高島藩主諏訪家墓地。

御廟。

説明板。

境内を出る。

大門通から遊女小路の方を見る。

大門通を上諏訪の方へ進む。

大門通と渋沢小路の合流点。

城は小ぢんまりとしていますが、立派な城下町のある上原城でした。