登城日 2017年 1月 7日(土)晴
難易度 ☆
場所 長野県茅野市茅野上原
諏訪氏惣領家の居城です。
中央本線の車窓から見える上原城。
ようやく訪ねることが出来ました。
最寄駅はJR茅野駅。
国宝「土偶」を前面押し。
説明板。
考古館で勉強出来る。
C12型蒸気機関車。
今は廃線となっている諏訪鉄山までの北山線で活躍したそうです。
廃線跡を少し辿って行きます。
ここで中央本線と分岐。
ゆるやかにカーブ。
ビーナスラインと合流。
廃線探訪はここまで。
阿弥陀堂遺跡。
説明板。
ここから大門通を進む。
十二坊薬師跡。
進む。
武将之古墳。
ここから少し登ってみる。
社が見えます。
上山ノ神。
この辺りに頼岳寺の前身だった上原五山永明寺があった。
跡地には碑が建っているそうですが解らなかった。
道路名が「永明寺線」となっています。
ここから上原城城下町を巡りました。
西の方へ下って行く。
中央本線を潜る。
潜って振り返ると上原城が見えた。
甲州街道に突き当たる。
ここに上原八幡宮が鎮座している。
柵があるので、廻り込む。
由緒書。
【八幡神社の由来】
八幡神社は古くは八幡宮とよばれ、当社の由緒書によれば、既に鎌倉時代弘長年中(1261~64) に前上社大祝諏訪盛重が鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を分霊し、八幡山極楽寺を別当として、神祭祈祷を盛んにし、さらに戦国時代永禄年中(1558~70)、鎌倉より光明寺を移し、極楽寺とともに別当とし、社地は数町歩に及び、上原城下町の中枢として、広く諏訪一円から崇敬された。
慶長六年(1601)、諏訪氏が上州から諏訪の旧領に復帰後高島藩主が江戸参勤往復の際、藩主は当社前で下乗、神前において道中の安全を祈願した。
即ち、江戸行きの際には、藩主は当社まで騎馬、下乗祈願後、当社より旅支度を整え、駕籠で出府、帰城の際も当社にて駕籠から騎馬にかえたといわれている。
今日社前に残る参道と枡形の駕籠置石の配列は数百年の歴史を物語っている。
平成5年11月吉日
上原区
上原史跡保存会
社殿。
参道を見る。
道祖神。
この辺りに上原五山光明寺があった。
甲州街道。
ここから西へ行くと上川へ下りて行く。
ここで曲がって大町通りを進む。
西を見る。
高台の縁。
ここが城下町の境だったのかな?
鍵曲り?
坂を下りて行く。
葛井神社鳥居。
由緒書。
神池。
ここに投げ入れると遠州サナギ池に浮かびあがると云う。
サナギ池は何処か解らなかった。
御神木。
腐敗防止の為に屋根が付いている。
社殿。
また由緒書。
ここは諏訪大社の末社。
御柱がある。
牛頭天王だ!
境内を出て、鍛冶小路を進む。
先ほど曲がった交差点から大町通りを進まずに、
鍛冶小路を真っすぐ進む。
甲州街道からの入り口に社標。
甲州街道を渡る。
登って行く。
上原五山金剛寺跡。
ここに上原城下町図があります。
上原城を見る。
中央本線を越える。
登って行く。
大門通と交差。
上原城まで2km。
突き当りに千鹿頭明神。
社殿。
鍛冶小路を振り返る。
ここから山道を迂回して登って板垣平に到着!
【上原城諏訪氏館跡(字板垣平)の案内】
このクルマ道を登れば、長野県指定諏訪氏城跡「上原城」に行きます。
右手の石碑から南方平坦地一帯は室町時代後期からの上原城諏訪氏館跡(面積約1ha)で、戦国時代の天文11年(1542)7月、武田晴信(信玄)により諏訪領主、諏訪頼重が滅ぼされて以降、武田氏の諏訪郡代(初代、板垣信方)の邸が造立された。
そして天正10年(1582)3月まで約40年間、武田氏の諏訪統治の拠点となった所です。
今日でもこの地籍は字名を「板垣平」とよんでいます。
縄張図を拡大。
右手の石碑。
碑文。
板垣平。
切岸。
家老屋敷かな。
上原城へ登って行きます。
(つづく)




































































