登城日 2018年 9月 8日(土)晴
難易度 ☆
場所 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
安房の里見氏を押さえるために本多忠勝が大改築した城です。
大原駅。
駅弁を売っていました。
(帰りに買おうと思ったら売り切れてた
)
いすみ鉄道に乗って行きます。
なつかしい車両だなぁ~
と、思ったら中はピカピカ。
平成27年(2015)に新造された車両だった。
約40分で大多喜駅到着。
本多忠勝がお出迎え。
大多喜絵図。
駅前に観光案内所がある。
線路沿いを進む。
城下町っぽい努力![]()
坂を下ると城下町通りに突き当たる。
ここに四ツ門が建っていた。
説明板。
ここから城下町とは反対に進む。
ガード手前に水溶性天然ガス企業発祥の地。
ガードを越えて、田丁の団地を抜ける。
大多喜城遠景。
な~んだ、こんな所に踏切があったんだ。
(四ツ門公園の所を曲がれば良かった。)
駅の反対側を進んでいます。
模型だとこの辺りです。
線路は堀の所にあるようです。
大手門跡へ。
大手門跡。
模型で。
八幡神社。
説明板。
八幡神社から北を見る。
八幡神社から南の三の丸を見る。
大手門跡を振り返る。
三の丸を二の丸へ進む。
三の丸と二の丸の間の堀。
テニスコートに利用されている。
模型で。
三の丸を振り返る。
模型で。
三の丸へ登って行く。
三の丸の様子。
戻る。
二の丸の切岸。
二の丸は大多喜高校の敷地なので撮影し難い。
失礼しま~す!
移築された薬医門。
説明板。
大多喜城説明板。
県指定史跡
上総大多喜城本丸跡
附大井戸薬医門一棟
昭和46年3月26日指定
大多喜城は夷隅川の蛇行による曲流に囲まれた半島状の台地の西北に位置する。
城郭としての要部は西側の山塊が東にのびた突端に縄張りした近世城郭で平山城の型である。
城内は本丸、二の丸、三の丸に分れ、本丸の天守閣は天保14年(1843)7月3日焼失した。
本丸跡6420㎡は急斜面に囲まれ、周囲には土塁が残っているが、当時の石垣や建物はない。
この城は本多平八郎忠勝が10万石でこの地に封ぜられた慶長年間(1596~1614)にでき上がったものである。
なお二の丸跡にある県立大多喜高校の一隅には、周囲17m、深さ20mの大井戸と薬医門とが当時の面影を残している。
平成24年3月31日
千葉県教育委員会
大多喜町教育委員会
薬医門を裏から。
本丸を見る。
大井戸。
二の丸を振り返る。
登って行く。
大井戸を見下ろす。
二の丸を見下ろす。
土塁かな?
登城路は右側かな?
模型で。
本丸にある絵図。

模型で。
塀。
土塁。
土塁を見る。
近づいてみる。
家紋。
天守閣へ。
ここで続日本100名城スタンプ27城目をGet!
内部の様子。
模型。
天守閣から二の丸の北側を見下ろす。
模型で。
北側には二之御門があった。
ここで新旧対比図を貰う。
天守閣を出る。
本丸の西側へ。
先端。
戻る。
西へ下りて行く。
二の丸公園。
こっちが二の丸?
登って行く。
出丸。
梵鐘。
説明板。
模型にも無いこの曲輪には何があったのかな?
二の丸公園は本丸と出丸を隔てる堀切ですね。
さらに西へ進む。
空堀?
北側は腰曲輪。
にょろにょろ。
大多喜城地之絵図。
ここにも門があったのかな?
右へ曲がる。
本丸の北を東へ進む。
さらに進んで二の丸を見る。
栗山口の門があった。
ちょっと寄り道。
栗山城へ行ってみる。
虎口っぽい。
削平地が段々に連なる。
切岸。
私有地のようだし、草茫々なので断念。
戻る。
寄り道の分岐点へ。
堀跡をさらに東へ進む。
少し進んで振り返る。
二の丸東側の堀跡。
テニスコートに通じる。
二の丸。
記の向こうは大多喜高校のグランド。
テニスコートを過ぎ二の丸の南側へ。
メキシコ通りから二の丸の南東端を見る。
この辺りはかなり削られているようだ。
丸馬出しのような土塁は残存しない。
三の丸の南側を東へ進む。
三の丸の南東隅。
隅櫓が建っていた。
この辺りも削られてしまっているようだ。
大多喜小学校。
ここも曲輪だったとも。
上南郭公園。
現代の大手門。
説明板。
駅前の大多喜城番所。
目が合ったので釣られて入ってしまった!
十六丼だけで良かったのですが、セットが出てきた。
説明通り食べてみる。
結局城下町へは行けなかった。
最後にスタンプ。
一度は行ってみてもいい大多喜城ですが、100名城ではないでしょう。

















































































































