館山城 その1(羽前国) | 三日月の館

三日月の館

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登城日 2018年 8月13日(月)晴
難易度 ☆
場所   山形県米沢市舘山1688-10

 

伊達政宗生誕地と云う。

 

続日本100名城に選定された米沢城にある伊達政宗生誕地碑。

毎度この城を訪れては

「ここが伊達政宗の生誕地で、上杉家の居城か~」

と感慨に浸っていたが…

何と、ここでは無いとの説が。

続日本100名城では無いし、真夏の山城は御法度ですが行ってみる。

JR米沢駅から米坂線に乗って行きます。

車窓から見えた山の向こうに館山城はある。

西米沢駅で下車。

無人駅です。

国道121号線が直角に曲がる交差点。

ボーっと駅から西へ歩いて来てしまったが、すでに舘山平城の中に入っていた。

鬼面川を渡る。

正面に舘山城が見えた。

国道121号線から左折。

説明板。

【舘山城跡】

 

舘山城は、伊達晴宗が天文17年(1546)に福島県桑折西山城から米沢に拠点を移した際の主城を考えられています。

以後、伊達氏は、輝宗、政宗と引き継ぎ、天正19年(1591)に政宗が岩出山(岩手沢)城に移るまでの43年間をここ米沢で過ごしました。

本城は、大樽川と小樽川に挟まれた舌状丘陵部に築かれた全長350メートルを有する山城で、大規模な土塁と堀切や縦堀によって、主郭(曲輪Ⅰ)、馬出(曲輪Ⅱ)、西曲輪(曲輪Ⅲ)を後世しています。

遺存状況も良好で、大手門・物見台・虎口・桝形・搦手・帯曲輪等の遺構も明確に残っています。

城の周囲には、3箇所の平坦地(南館・北館・東館と仮称)が置かれ、北館からは石垣を配した遺構や家臣団の屋敷跡群、東館からは庭園跡の一部や井戸跡、敷石遺構が発掘調査によって検出されています。

また、南館からは大規模な空間を整地していることが確認されています。

このように館山城は、自然の地の利を生かした要害の城で、山城を本丸として直下に居館を配置する構造は、後の岩出山や仙台城にも取り入れられ、伊達氏山城の原点となったもlのと考えられています。

 

舘山城保存会

平成22年9月設立

平成24年4月設置

 

舘山城平面図を拡大。

昨年は伊達政宗生誕450年だったそうです。

素朴な伊達政宗生誕之地碑。

小樽川を渡る。

右、舘山北館。

左、舘山城大手口。

大手口へ進む。

子育て地蔵尊。

顔にあんこを塗って願掛けします。

舘山東館を進む。

「私有地に付 立入り大歓迎」

有難うございます!

説明板。

井戸跡。

あちこちにある。

また伊達政宗生誕地の碑。

たて山や あらき嵐の 音たへて

 さはりなき世の さとのかよひ路

大樽川に橋が架かっていたと云う。

ここから約10km上流に支倉常長の生誕地がある。

舘山城を振り返る。

舘山東館を進む。

大樽川の対岸は舘山平城。

大手口。

ここに無料の水が提供されている。

縄張図があると書いてあるが…

折り紙兜だった。

縄張図は側面の引き出しの中でした。

縄張図。

天正19年8月、松下之綱と山内一豊が伊達氏移転の監視の為、この城を訪れたと云う。

何となく土塁が残る。

登城路。

約2.5mの道幅。

大手口を振り返る。

登って行く。

曲輪Ⅰ南側虎口。

曲輪Ⅰの東端へ進む。

東端。

腰曲輪を利用した東北電力の水力発電施設。

戻る。

曲輪Ⅰ北側虎口。

曲輪Ⅰから舘山北館への出入口。

でも、今はとても進めそうにない。

この斜面ですから。

北側虎口から南側虎口を見る。

曲輪Ⅰ説明板。

主郭と云う。

曲輪Ⅱへ進む。

曲輪Ⅰと曲輪Ⅱを仕切る土塁。

破城痕跡。

破城痕跡説明板その1。

栗石が散乱していて歩きにくい。

栗石の間に残存石垣。

別角度。

枡形虎口。

破城痕跡説明板その2。

枡形虎口を土塁上から見る。

かつては土塁の高さまで石垣が積まれていたと云う。

虎口を進む。

虎口の間の栗石は破城痕跡でしょう。

枡形の東側を見る。

枡形の西側を見る。

枡形虎口説明板。

こんな立派な城が米沢城の近くにあったとは…

 

つづく