登城日 2回目 2018年 4月29日(日)晴
難易度 ☆
場所 青森県青森市浪岡大字浪岡字岡田43番地
前回再訪したいと書いたが、本当にまた訪れることになるとは思わなかった。
JR浪岡駅。
ずいぶんときれいで大きくなったなぁ~
6城目Get!
駅から約2.9km。
そのまま電車に乗って次へ行こうと一瞬思ったが、気を取り直して進む。
真っ直ぐ進んで、突き当りを左折し、最初の交差点を右折すると、川原御所跡。
川原御所跡の碑。
分家があった所。
永禄5年(1562年)に、川原御所の乱が起こり、浪岡氏衰退の原因となった。
周辺の遺構が解らず交差点へ戻る。
右、100名城弘前城。
左、続100名城浪岡城。
前回行きそびれた青森市中世の館へ。
浪岡城復元絵図。
全体図。
模型。
復元された建物内部。
青森市中世の館を出て、隣の浪岡八幡宮へ。
由緒書。
こんな所で播磨赤松氏が登場するとは…
赤松隼人の子孫は有馬氏と称し、浪岡五本松に残っているとか。
【浪岡八幡宮由緒】
<祭神>
應神天皇(誉田別尊)御一座
<創建>
桓武天皇延暦年間宇佐大神を勧請し勅願使坂上田村麻呂國家鎮護の為この地に創建す
<由緒>
平安時代の初め、東夷暴れ坂上田村麻呂征夷大将軍となり
鎮定にあたる。
その時宇佐八幡宮の神霊をこの地に勧請し行岳蒐狭(なみおかうさ)大神宮と称したと伝える。
当社古記によると清和天皇 貞観七年に修覆行われ、室町時代 北畠氏浪岡城に入るに及んで崇敬更に厚く修理を加え吉野天皇の御緒太を奉納し、当時北畠家主席家老の赤松隼人を詞官とし祭事を重くし、天正の頃より津軽氏にこの地を領するに至って代々の祈願所として崇敬し、慶長、寛永、寛文、元録、寶歴、寛政、嘉永等の 各時代とも蕃費を以って宮居を修覆し、年々の祭事も惰りなく執り行われた。
明治維新には郷社に列し、昭和13年7月12日県社に昇格。
昭和23年より崇敬者中心となり維持経営して今日に至る。
<例祭日>
8月15日
平成31年8月15日
社務所
参道。
神池。
二の鳥居。
手水舎。
三の鳥居。
四の鳥居。
鼓殿。
拝殿。
拝殿の西側には悠忠神社。
東側には土俵。
泣き相撲大会が行われる。
ここは、浪岡城四隅に祀られた神社の一つ。
浪岡城へ向かいます。
浪岡城址碑。
桜が満開。
弘前城は散ってしまったとの情報だったが、ひょっとしてまだかな?
浪岡川。
浪岡川から西館を見る。
内館へ登って行く。
内館。
丁度、浪岡さくらまつりの真っ最中。
北館を見る。
北畠古城跡碑。
西館と北館の間を見る。
カラオケ大会が始まった。
ジャイアン級の歌声が聞こえてきたので、たまらず西館へ。
橋を渡る。
また橋を渡る。
西館。
ひょっとしたら、一番いい時期に来たかも?
内館を見る。
どうしたらあんなに音程を外せるのだろう?
この頃になるとジャイアン級の歌声もかえって清々しく感じられた。
西館の東南端。
北館を見る。
西館の北東端付近。
北館へ。
北館の土塁。
内館を見る。
内館の桜。
今年の桜は特に駆け足で去って行った。
建物跡。
北館の概要。
外郭を見る。
土塁。
北館の北を東へ進む。
中土塁から東館へ。
立体図。
東館。
猿楽館を見る。
下りて行く。
猿楽館北側の堀。
案内図。
猿楽館へは行けなかった。
行岳公園碑。
浪岡の旧名。
浪岡城跡管理棟。
ここにもスタンプがあります。
全体図。
東館と新館の間の坂道。
東館を見る。
新館。
公園として整備中のようだ。
新館と東館の間の坂道を振り返る。
外郭北側の堀跡。
北館と外郭の間を西へ進む。
城址碑。
さらに西へ進む。
北館と西館の間の堀。
西館北側。
検校館。
町中。
鍵曲り?
急いで駅へ戻りました。
戻って知りましたが、無料レンタサイクルがありました。
な~んだ。
滞在時間は約2時間でした。






















































































