今から30年前、
私が20代後半、大阪の某鰹節屋での修行を終え、河津商店で駆け出しの頃の思い出です。



 

当時、新規の取引先を開拓すべく、蕎麦屋に一軒一軒、飛び込み営業をしていました。
いつものように蕎麦屋と思って裏口をノックしたのですが、
ドアの向こうから登場したのは、シャキッと真っ白な白衣に和帽子、ネクタイ姿の板さん!
しかも右手には刃渡りの長~い刺身包丁をもったまま「何のようだ?!」(低音)
太い上がり眉、その強面(こわおもて)にビビったのを鮮明に覚えています。
当時、ちゃんこ巴潟さんは、両国本店に加えて牛久店を出店していました。
訪問しようとした蕎麦屋さんの隣が「ちゃんこ巴潟牛久店さん」で、私がノックするドアを間違えたのでした。
けがの功名
瓢箪(ひょうたん)から駒
大いなる勘違いが奇跡を起こし、巴潟さんとは30年来の永いお取引に繋がります。

この出会いから後日、工藤社長さん、石井板長さんとちゃんこ鍋の試食にご一緒させていただき、
「おまえも食ってみろ」、
「これがみそ仕立て巴潟ちゃんこ出汁(だし)のレシピだ」
と社長さまはメモを渡され、オリジナルブレンドの削り製造を私に任せてくれました。
20代後半、はな垂れ小僧の私が、
かつお節屋としてプロの料理人とこれからちゃんと向かい合っていけるかどうか試されているような感覚があり、必死だった当時の記憶がよみがえります。

しばらくして悲しい知らせが届きます。
平成22年春、工藤社長さまが、62歳という若さで急逝されたのです。
ここからは、奥様であり、現社長である女将さんの頑張りで今日の巴潟さんの大繁盛に繋がります。
私などには想像もつかないご苦労がたくさんあったことと思います。

今年4月にお手紙をいただきました。
それはあまりにも唐突なお知らせでした。
5月両国場所千秋楽25日をもって閉店されるとのこと。
創業昭和51年以来49年間になるそうです。

お礼とご挨拶をかねて駆けつけたい衝動に駆られ、店の予約を試みるも、夜の時間帯は全埋まり、昼の時間でなんとか空きをキープさせていただきました。
経営者の立場からすると、最終日まで満席で大繁盛、絶頂期に惜しまれながらの閉店は、
「カッコいい!」に尽きます。

最後に、高品質な出汁(だし)の安定供給をミッションとする「かつお節屋」として、微力ながらも貢献できたのかな~と誇りに感じています。

亡くなられた先代の工藤建次社長さま、
奥様の工藤みよ子社長さま。
30年間たいへんお世話になりました。
そしてお疲れ様でした。
素晴らしいご縁に感謝しております。