前回は往きを書きましたが、今回は帰りになります。

 往きは夜ですので、バスの中で寝ていればいいのですが、帰りは昼間、300㌔は長いですね。

 そうそう、今回は300㌔でしたが、以前、フエまで行った話もしてみましょうか。

 その時は興安(フン・ヱン)からでしたが、約700㌔近くあります。行き方は、ほぼ広平(クアン・ビン)までは、同じです。でも、そこから400㌔(東京~名古屋)あり、しかも、いつもと違うバスです。

 これは祀られている神に感謝する祭りです。ベトナムでは祭りは年に二度あり、一度は若い人も参加した神輿の渡御、また、もう一度は、老人たちによる神に感謝するお礼のまつりです。

 

 いつもはかなり高級なバスで行きますが、このときは、バスはちょっとという感じのレベル。窓は閉まらない、クッションはガタガタ、後ろに座っていましたが、天井までとは言いませんが、揺れること、々。

 そして、国道1号線(ハノイ~ホーチミンを結ぶ主要道路)といっても、流石に舗装はされていますが、ほぼ一車線、困るのは、休憩所がないこと。よくてガソリンスタンド、サービスエリアなんて、まだありません。こまるのが、そうトイレです、女性でもバスの陰やよくて、ちょっと離れた藪の中、外国人には耐えられないことです。ベトナムでは、まだ旅行なんてする人は少ないので、気にしていないようです。

 改めて、びっくりです。

 さて、そうそうこのコースには、海雲峠(デオ・ハイ・ヴァン)があるのですが、最近は日本のODAで、ここにトンネルができてしまい、素晴らしい景色がみられなくなりました。ちょっと、車にはきついのですが、お時間がある方は、迂回しても越すと素晴らしい経験ができますよ。

 これは2003年に亡くなった胡志明の片腕・武阮甲(ヴ・グエン・ザップ)将軍の陵

 そして、もう一つ、この峠を越えると「世界10大海の風景」フォーブスで発表された素晴らしい白砂の海が見られます。ここは、阮英(嘉隆・ザーロン帝)が〇〇病の患者を隔離して村を作ったことで(現在は、伝染病ではなく、云々)、人が寄り付かなくなった。そのためか、海は綺麗で、白い砂浜は素晴らしい。

 そして、フエの近くにあるベトナム各省の英霊を祀る陵があります。

 ほぼ、全省の英霊を祀っているようです。ハノイの坊(村の集まり)にも、英霊を祀る場所が必ずありますが、その他にも、こんな大きな陵墓があるのには、驚きました。

 その英霊に花を捧げる親族。一つの山の斜面を覆う数の陵にはびっくりしました。

 話は逸れましたが、巡礼の帰りを報告いたします。

 

 上記の刻印を翻訳すると、「祖国への功労を記す」は、”1968年7月24日16時、TNXPの10人の女子分隊は、勇敢にもここで犠牲になった。交通の要衝である「後衛部隊』と「前線部隊」を結びつけることに、青春の全てを捧げ、国の完全勝利に貢献した。
 彼女たちの名前は、英雄的なベトナム人民のヒロインの偉業として、海外のみならず世界中の人々に永遠に記憶されるでしょう。

 墓に参詣して、花を捧げる。

 日本の大阪の人たちが捧げた花輪。

 内容はともかく素晴らしい彫刻作品ですね。

 

 昔は虎や象がいたようで、ヒロインの二徴姉妹や趙夫人は像使いでした。また、神として崇められていた虎は各神社に剥製として保存されています。また、祭壇の下にある道教の地獄は五虎が護っています。

 これは、ちょっと古い写真ですが、この2~3年後の写真では、高校生の多くが電気自転車に乗っていました。ベトナムは豊かになりました。ここは河静省です。

 ベトナムでは、山に行っても、海に行っても、どこへ行っても、料理はほとんど変わりません。

美味しさよりも、食べられることが基準です。この料理も旅行者にとっても、普段は食べられる料理ではありません。相当なご馳走です。

 芸安にある乾祠(dền Cơn)です。

 乾祠の歴史概要:翻訳、

 ゲアン省クインルー地区クインフオンにあるコン寺院は 13 世紀に設立され、四聖人を崇拝しています。
 古い歴史書には、次のように記録されています:

 南宋王朝 (中国) は、モンゴル帝国に敗れました。
 姫と将軍は船に乗って南へ逃れ向かいました。逃げる途中、残念ながら強い波と風があり、ボートは沈没し、残ったのは4人だけでした。母と王と子どもはマストにしがみつき、ゲアン省クインルー地区のクイリン山に漂流していると、そこで僧侶が救助し、世話をした。

 

  しかし国家を失い、国を取り戻すために敵と戦った場面を思い、王は入水自殺をした。それで、親子四人は、王が大事にしてくれたので、それに殉じて四人全員が海に身を投じた。子どもはコン川に流れ着き、人々に丁寧に埋葬され、皇太后は死後、神から12の海とその他の河川地域を統括する海神に任命され、それ以来、河川の農作物が繁栄し、経済が繁栄したので、人々は「乾廟神殿」を建立した。

  この魚の名前は解りませんが、この焼いた切り身は旨いですよ。私は帰って醤油とみりんで

煮直していただきますが、ご飯のお供に最高です。

 17時28分、ようやく、清化省ビン山街北山まで戻ってきました。

 九阱祠(玄天聖母)を祀る柳杏と縁のある聖地です。

 でも、ここからハノイまでは、150㌔近くあり、ハノイ着は23時を廻るでしょう。

 参加者は年配者が多いのですが、みなさんタフですよ。

 若い人の参加は、いつも数人です。

 お疲れさまでした。