担ぎ込まれた病院の一室で、姪であるイーディの寝顔を見つめていた伯父のミンターンは何を思っていただろう。

牧場にいた頃の可憐な少女時代の面影を探していたのかもしれない…もっとも、それはイーディが目覚めた後に新たに揃えてやったメイク道具一式が病室に届けられるまでの話であったが。

イーディのメイクの仕方を美容系youtuberたちが再現しているのを見たことがあるが、そこまで?と思うほどあらゆる種類のファンデーションを塗り、パウダーをパーツごとに使い分けている。特にアイメイクは念入りで、アイホールを何のためらいもなく縁どるやり方には驚いた。クレオパトラ的というのか…けれど、その目と太い眉こそがイーディのトレードマークだった。

イーディがリクエストしたメイク一式のリストは、書きだすと大人の腕の長さに匹敵するほどだったという。

迷いもなくこういうラインを引けるのがすごい

 

アパートの火事騒ぎを収拾させるために尽力したミンターンだったが、燃えずに無事だったと思われていたイーディの服や部屋の調度品の多くがなくなっていた。得体のしれない人物たちがあらかた持ち去るのを、週に一度派遣されていた家政婦が目撃していた──おそらくイーディのドラッグ仲間で、以前から金目のものを物色していたのだろう。退院後、イーディは新たな住まいを見つけるしかなかった。

 

ニューヨークという街の伝説の一翼を担うと言っても過言ではない、「チェルシーホテル」。この時代、多くのアーティストが定宿にしていた──劇作家のアーサー・ミラー、詩人のアレン・ギンズバーグ、俳優のデニス・ホッパー、サム・シェパード…アンディと仲が良かったジャスパー・ジョンズやジュリアン・シュナーベルといった芸術家も多数。ニューヨークを拠点にしていたミュージシャンもまた例外ではなく、パティ・スミスやジョニー・サンダースなどのNYパンクの代表格や、イギー・ポップやトム・ウェイツ、ロビー・ロバートソン、駆け出しだった頃のマドンナなど数え上げるときりがないほど。ボブ・ディランが秘密裏に結婚していた相手のサラと出会ったのもこのホテルだったという。そして、セックスピストルズのシド・ヴィシャスが恋人のナンシーを殺害した場所としても広く知られている。

現在様々な検証から、ナンシーを殺したのは別の人物だった可能性があるという。そしてシドの死因についても不審な点が残っている

 

この頃のチェルシーは長期滞在の客を受け入れていて、料金も手ごろということで「泊まる」というより「暮らす」人が多かった。

イーディはほぼ身一つでチェルシーホテルでの暮らしを始めることとなった。

 

とはいえ、イーディを取り巻く問題の根本的な解決は為されないままだった。

ひとつは生活の不安。ディランの仲間だったボブ・ニューワースがイーディのための管財人を雇った。彼はそのはちゃめちゃさに頭を抱えることになる。何しろイーディは有名人であり名家出身というバックボーンのおかげで、信用だけはあった。結果多額のツケが山のように貯まっていたのだった。日頃の移動手段だったリムジン・サービスや、高級レストランの食事代に至るまで──結局、管財人はイーディの母親に連絡し、何とか決着をつける方法をとるしかなかった。

そしてもうひとつの問題は、イーディの深刻な不健康ぶりだった。

チェルシーホテルを訪ねたイーディの母親は、久々に会った娘の姿に愕然とした。少し前にミンターンから聞いた話以上に、イーディはまいってるように見えた。娘が最後に食事を摂ったのはいつだったのだろう?やせ細ったその体を見るにつけ、イーディをこれ以上ひとりにはしておけないと夫に相談する…即ち、それは実家があるカリフォルニアへの強制送還だった。

ちょうどクリスマスの時期であり、久々にきょうだい達が集まるから、と母親はイーディを説得して連れ出すことができた。この時、イーディはきっと内心ほっとしていただろうと思う。ここのところ色々な悲しいことが立て続けに起きて、少し環境を変えたかったと考えるのは想像に難くはなかった。

 

しかし、カリフォルニアで待っていたのは平穏ではなかった。

ドラッグを常用していたイーディはカリフォルニアの病院から処方箋を利用してなんとか薬を手に入れようと目論んでいたが、両親にそれを気づかれた。

ある夜、両親はイーディの体調不良による発熱をでっちあげ、救急車を手配すると告げた。だが、家の前に到着したのはパトカーだった。

不思議に思いながらもパトカーに乗り込むイーディはそこで体を拘束されてしまう。

ドラッグの乱用によって家族に危害を加えようとしたり裸で喚き散らしながら歩き回っていると、父親が警察に通報したことをイーディが知ったのは、精神病院に収容された後のことだった。

果たしてイーディがそういった行動をしたのが事実かどうかはわからないし、イーディ本人にも覚えがないことだった。薬物使用の影響下で、断言はできないところだけど…はっきりわかるのはただひとつ、自分は両親に騙されたということ──自殺した兄のミンティと同様に、病院に我が身を押しつけられ自由を奪われたということだった。

 

イーディ不在のニューヨークではその頃、ある映画の製作話が持ち上がっていた。

主役にイーディはどうか?と最初に持ちかけたのは、ケンブリッジ時代からの仲間の一人であるチャック・ウェインだった──アンディがファクトリーで撮っていた作品より本格的な映画で、イーディと彼女を取り巻くNYカルチャーを描くという。

その場にいた人々はこぞってその案に賛成したものの、イーディの無軌道ぶりに大いなる不安を感じてもいた。この話を聞きつけたボブ・ニューワースは急いでカリフォルニアのイーディに連絡をとった…そして、すぐさまイーディを「救出」することとなるのだった。

 

<参考資料>

「イーディ 60年代のヒロイン」ジーン・スタイン/ジョージ・プリンプトン著 

筑摩書房

「さよならアンディ ウォーホルの60年代」ウルトラヴァイオレット著

平凡社

 

 

イーディがしばらく暮らしていたチェルシーホテルは、映画「レオン」のロケ地として使われていたことで、聖地巡礼的な観光スポットのひとつともなっている。

そう、レオンとマチルダが暮らしていたあのアパートは実はチェルシーホテルだった。現在は大幅な改装をされ、ラグジュアリーさとかつてのアーティスティックな雰囲気を兼ね備えた老舗ホテルとして根強い人気を保っている。もっとも、今は長逗留できないそうだけど。

 

 

 

Pink Floyd-「See Emily Play」(1967)

 

どうしてもプログレッシブロックというのは気難しそうで敷居が高いイメージがあり、ピンクフロイドも例外ではないのだろう。でも、シングルを切らずアルバム制作中心の活動をする前の彼らのこんな姿を見ると、ついニヤッとしてしまう。

1967年はまだ今の中心的メンバーであるデヴィッド・ギルモアが加入していなくて、ボーカルでありバンドの作詞作曲を手がけていたシド・バレットが前面に出る形だった。音的にも、時代性もあるのだろうがプログレというよりはサイケデリックロックといった感じ。

ところでこのPV不思議だなw ユーモアというかどこか牧歌的でありつつ、全編にスタイリッシュさが漂っている…

あの気難し馬面(本当にすみません、信じてもらえないかもだけど好きです)のロジャー・ウォーターズが踊ってたり、シド・バレットのスタイリングがカッコよかったり、だからこそこの後にバンドが転換せざるを得なかったことについて、しばらく考えてしまう。シド・バレットが脱退していなかったらこのバンドはどうなっていただろう?プログレッシブロックの大御所になっていただろうか?

まあ少なくとも、名アルバムのひとつ「炎(Wish You Were Here)」は作られていなかったはずで、でも、このアルバムがシド・バレットおよび彼とともにいた時代に静かに別れを告げるもので、それがピンクフロイドというバンドにとって当然の帰結なのだと言い切るにはあまりに寂しい気がするのだ。