ネットウヨクとみなされる(世間一般を代表する自信はありませんから、このブログで使う範囲に関して、あるいは、せいぜい常連さんなどと共通理解が得られている程度で、ふだんから「ネットウヨク」と呼んでいる、ぐらいのところですが)、人々は、冷笑的であるかどうかを考えてみました。


「ネットウヨ」さんいくつかの特徴 という以前のエントリーについたコメントから思いついたの。

http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10018743876.html



■やってる事はネットウヨと同じ陰口ですか


 (略)


■回答の御礼


冷笑主義者のふんぞり返る様ほど滑稽なものはありませんな、辟易しつつ自戒しつつ、といったところでありましょうかw

というコメントがありました。そのコメントへの返事や感想は、元のコメント欄をご覧いただくとして、ここで触発されて考えたのはこういうこと。


「2ちゃんねらーは“冷笑的”だろうけど、ネットウヨクさんはどうなのかな」


ここで、用語の詮索を少ししておきますが、他者に対する発話態度が軽蔑の語気があることを“冷笑的”というのとはちょっと違う。世の中に対する向き合い方が斜に構えていることといった意味合いで、「2ちゃんねらーは“冷笑的”だね」と言いえるのだと思います。


「非武装中立」とか「死刑廃止」に対して、空想的とか「脳内お花畑」とか言い募る人は多いのですが、その人の主張や政治的立場というより、理想論、きれいごとを言うのが嫌いだ、という心的態度がまずあるのではないか。だから、「痛い」と揶揄される言論は、「左派系」だけでなく「体制派」や「右派系」にもある。「ゲームをしすぎると脳内変化する」みたいなことを言えば、ネット内ではかなりおちょくられるでしょう。それは、ゲームをやる人間が多いので多くの若者がむかつくというよりも、問題をゲームに転嫁する姿勢にまやかしを感じ取るからだと考えられます。


2ちゃんねるの「祭り」などは、量化された民衆の無意識という側面もあるかもしれません。しかし、2ちゃんねるなどの言論をもって、「若者が右傾化した」というのは正確ではない。「言説空間がアナーキーになった」ことをまず問題にすべきと思います。最初から安直に、「右」[左」という枠組みが出るところが、2ちゃんねらー風に言えば、「痛い」のでしょう。


ここまでは2ちゃんねらーの話です。

では、ネットウヨクは、他者、あるいは世の中に対して斜に構えた態度なのか。厳密な思想用語ではなくて、普通に使われる意味で、彼らは「シニシズム」なのか。


きっかけとなったエントリー <「ネットウヨク」さん いくつかの特徴 >であげているのは、このブログにコメントをつけてきたあるブロガーさんや、師匠とかDOXさん、ハムニダ薫さんなどのところでうじゅうじゅ言っている人たちのことです。それをネットウヨクと呼んでいる。そうした人たちは、よそのコメント欄で軽蔑や揶揄をこめた発言を多くしますが、世の中や他人に対し斜に構えているかどうか。

自分のブログを持っている右派系の人などは、マスコミが左傾化している、公務員が怠け者だ、政治家がだらしない、と悲憤慷慨、憂国の至情、経世済民の志をあらわにしていますから、「シニシズム」とはもっとも遠いところにいる。


でも、あの馬鹿陽区氏にして、アメリカは石油のためにイラクを攻めたのだといいたい風情 ですから、右系のネット言論でも、日本国政府の国際貢献やアメリカ政府のテロ戦争の大義を支持して熱く左派ブログを叩いていると思えません。そこにあるのは、「お定まりの左派言論をいう痛い奴」という2ちゃんねらーと同種の気分なのでしょうか。


日本政府のいう国益が本当に国益とも思えず、アメリカ覇権の世界をうべなう心持にもなれない。とは言うものの、「世の中すべてまやかしだ」というポーズにも抵抗がある。

「とりあえず、政府・体制の言うことは何でも反対していればすむお気楽左翼を馬鹿にしよう。あいつら、社会主義の夢がぽしゃったし、民主連合政権だって実際にできたらうまくいくなどとは自分でも思ってないくせにお気楽なもんだな」 というのが、ネットウヨクさんの心情なのかな、と仮説を立てておきましょう。


ネット言論の中のシニシズムとは何か。あるいはシニシズムにも向えないネットウヨクの思いは何か。

ちょっと考えどころかな、と思います。