2007-11-23 22:57:09

先の大戦と天風会   

テーマ:じぶんとみうちの話

 だいたい昔から精神年齢が進歩していないので、中学生の時に漱石全集を家で買ったから読んだなあ、といった昔話でしか読書体験を語れないてえのも情けないけど、昔話が参考になる場合もあるので、またプライベートな60年代の話。

 ただ、政治問題などを扱うエントリのほうがまだ興味があるよ、という方もいるかもしれないので、基本テーマは政治談議として設定します。

 

 小学校上級から中学時代、母親が知り合いの紹介で天風会という団体にいっていました。それで子どもたちも連れて行った。

 天風会 というのは、中村天風という人が始めた、ざっくりいえば修養団体でわたしが行ったときは天風師の晩年でありました。


 中村天風さんというのは、没後、宇野千代さんの本やら経営者向けの本やらで有名になったのですが、うちの家族が行っている時は、巨人軍に影響力があるというので週刊誌に書かれた程度で、そんなに知られていませんでした。

 その教えというのは、「比較思想」的にいえば、ウパニシャッドの哲学と臨済禅をたして儒教の現世主義で色つけしたようなもので、主唱者の個性と切り離せないと思うのですが、会そのものは続いているようです。

 うちではその後疎遠になって、母親は臨済禅そのものをやりだした。


 その説くところをもっとも簡潔にいえば、心身は統一して生きなければダメで、積極思考すると人生うまくいくよということです。 

 「真人生の探求」 「研心抄」「練身抄」という著作があって、中学の頃に読みました。いまでもブラーマンとアートマンの合一をよしとするというウパニシャッド的な感覚がわたしにあるのは、その影響です。

 その後のビジネスマン向け人生哲学書というのは読んでいないので、世の中の人のとらえる天風会とわたしのイメージはかなり違うかもしれません。


 宇野千代さんの本に書かれているというのですが、毎月、護国寺月光殿で開かれていた講習会で話されたエピソードによると、中村天風師は終戦の詔勅をめぐって大きな役割をしたという話ですが、ともかく戦中はどこやらの宮家に寄留していたらしい。

 天風さんは、15年戦争、大東亜戦争に反対で、正義の戦いではないと言っていたといいます。弟子や知人が出征するときも「生きて帰れ」と励ましたとか。


 ここら辺からだんだん、政治談議になるのですが、よく天風会の毎月の会では、「先の戦争に反対したのは共産党と天風会だ」というように語られました。このことは証言しておいたほうがいいでしょう。

 

 中村天風師は柳川の出身で、立花家の一門とか連枝とかに当たるそうですが、頭山満のお弟子でもあったらしい。満州で軍事探偵をしていたという経歴です。出自は右翼(戦前はそういうカテゴリーではないでしょうが)ともいえますが、大陸浪人はシナの独立をたすけようという人はいたでしょうから、中国侵略に反対したとしても不自然ではない。

 ただ、宮家との関係で特高や憲兵が手を出せないという立場での、戦争反対というのは、共産党からみれば「何いってやんで」な話だと思います。


 でも、わたしが強調して証言する意図は、「戦争反対」の態度云々ではありません。「戦争に反対した」ということを、昭和40年代には夏の修練会○○松宮妃殿下ていたような団体が誇りにしていたということです。

 東京裁判の考え方と同じではないでしょうが、先の大戦を否定的にとらえることは、そのように一般的でした。林房雄の「大東亜戦争肯定論」というのが議論を呼びましたが、保守派からも奇をてらうものという扱いを受けていたように感じます。

 共産党は、戦争に命がけで反対した、という点で、保守的な人を含め一定の尊敬を受けていたということも、この天風会の人たちの言い方からうかがえます。

 そして、15年戦争は「悪い戦争」だった。

 

 昭和40年代は戦争から20年少したったころです。戦争体験者はまだ多くが存命でした。欧米列強が正義だとは思わなかったでしょうが、日本が起した戦争が狂信的な国を危うくする暴挙だという議論は、机上の結果論ではなく、体験的な実感だったろうと思います。


 その後、日本軍の戦争犯罪の事実が発掘され、その意味で戦争観も変わりました。一方、保守系、右派には戦争体験が乏しくなるにつれ、観念的な戦争観が広まったと思えます。


 天風会と縁が途切れて長いので、その後の天風会で、「先の戦争に反対したのは共産党と天風会だ」と語られているのかはわかりません。世の中の人はそんなことより積極思考で成功するということを求めているのだろうと思います。

 ともかく、昭和40年代前半には、15年戦争はとても否定的にとらえられていた。天風会のエピソードはそれを示していると思います。


http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3860/biografias/tempu.html


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%A4%A9%E9%A2%A8




追記(10年9月20日)

ときどきまとめエントリー 天風会


もう一度、天風会のまとめエントリー

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

kandanoumareさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

最近の画像つき記事
 もっと見る >>

コメント

[コメントをする]

2 ■固有名と歴史

リンクの wikipedia の記載に

>フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候し、各界の著名人に会う機会を得る

とあるんですが、どんな著名人に会ったのか、というのは興味ありますね。あと、

>1913年日本へ帰国途上、中国で孫文の第2次辛亥革命に「中華民国最高顧問」として協力。その謝礼として財産を得た

なんて記載もある。固有名と歴史というのはおもしろい問題のひとつですが、私たちが教科書で習う歴史というのは、個人史の断片のモザイクが中心ですね。一見なめらかにつながっているようで、解像度を上げると隙間がある。

1 ■歴史的に考える

kuronekoさま

私も中村天風という名は戦前の日本思想史などで見かけたことがあります。玄洋社とつながっている、頭山満の弟子というのはそこでのことですね。その「右翼」と呼ぶのがふさわしいかどうかがよくわからない北九州の文化環境のなかから、生まれるのが、宮台さんがレスペクトする廣松 渉です。

ところで、今、wikipedia で検索したら、天風さんは、「笑顔は万言に勝るインターナショナル・サインである」という言葉を残している、との記載がありました。

別エントリの人生アウトさんのコメントに触発され、「赤木さん」の顔と「レーニン」の顔を比べて、「レーニン」はきっと自己憐憫の自嘲でも他者への嘲笑でもない笑顔、アイロニカルな笑顔ではないユーモラスな笑顔だよなあ、と思っていたところだったので、いつもながらの「恩寵」かな、と思いました。シンクロニシティって言葉は味気ない。

コメント投稿

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。