雨と光の浅草寺(コロナ解禁)。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 コロナが5類に分類されマスクの着用も個人の判断に委ねる方針へと切り替わった。それに連れて巷ではマスク無しの姿が目立つようになって来ている。行動制限が解かれ、解放感溢れる新たな夏がスタートしたように思うが然し、コロナが消滅した訳ではない。専門家たちの声を聞けば既に第9波の入り口に差し掛かっているようだ。
 このコロナに翻弄された約3年間ひたすら耐え忍ぶ生活を強いられ、社会生活の最も基本であるコミュニケーションまでも制限を受け、職までコロナに奪われ路頭の迷い子となってしまった人々も多くいる。そんなコロナの嵐にもいつか終わりが来る事をわたし達は知っている。『止まない雨はない』と言われる様に、ウクライナとロシアの戦争も結果はどうあれ、いずれ終わる。総ての物事には始まりがあれば必ず終わりもあるのだから、希望に満ちた未来が訪れる事を信じて今を生き抜く事が大切であると思う。
 浅草寺の写真とは全く関連性のない話題から始まったかに思えるが、そうでもない。コロナが解禁されて国外からの観光客も日毎に増え、浅草と言えば都内では有数の人気観光スポットである。これを撮影した雨の日でなければ、多くの観光客で賑わう浅草寺。雨の中で光る浅草寺をいつか撮ってみたいと言う思いは以前から懐いており、この日、それが実現した訳である。自分の読み通りこんな雨の夜に訪れる人は殆どなく、周囲を気にせず撮影に没頭する事が出来た。
 浅草に着いた時は傘も不要なほどの小雨だったのだが、撮影を始めて30分も過ぎた辺りから雨足が強くなりだし、おまけに風も吹き出して来た。差していた傘は風で後方に飛ばされ、カメラをその場に放置して傘を追い掛けたりと別な意味で苦労した。もし周りに人がいて飛ばされた傘が当たってしまったら撮影どころではなくなる。人がいなくて本当に良かったと安堵している。
 撮影するのに傘が邪魔になって来たので途中から傘なしで撮影。頭が濡れて風邪でも引いたらまずいと思い、フードを被っての撮影となった。自分もカメラもずぶ濡れとなったが、こんな雨の日にしか撮れないライトアップされた雨に煙る神秘的な寺院をカメラに収める事が出来て満足している。『雨ニモマケズ風ニモマケズ…』とどこかの有名な詩人の言葉通り、カメラ魂を爆発させてやった。それにしてもNikonのカメラとレンズはタフである。