青池の大蛇伝説と長楽寺。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

青池

 今からおよそ850年ほど前の話しである。仁安(六条天皇の朝1165~)年間、旧西益津村(現在の藤枝市本町辺り)にある岡出山の麓に粉川長楽斎と言う郷士が住んでおり、弁天さまから天神さまにかけての地域を村の人々は長者屋敷と呼んでいた。

 長楽斎は、仏法に帰依して信仰が厚く困っている人には必ず手を差し伸べるほど心優しく憐れみ深かったため、村の人々は「仏心長楽」、「粉川長者」などと呼び敬っていた。

 長楽斎の妻は「秋野」と言い、伊勢の国神戸の住人神戸大蔵人某の娘で、婚礼の際には家来を三人連れて来て、以来藤枝に住まわせ、神戸(かんべ)と言う姓を名乗らせた。それがもととなり、藤枝の三神戸と言う家柄が出来た(私の実家がその内の一つ)。

 その後、夫婦の間に愛らしい女の子が産まれたので、長楽斎は「賀姫(いわひめ)」と名付け、大事に育てた。賀姫は成人するにつれて容姿も大変美しくなり、両親に仕えて孝心深かった。

 長楽斎は、岡出山の下に安置した薬師如来を信仰しており、娘もまた父に劣らぬ信仰家で、毎日、朝早く起きては、お参りをしていた。

 ところで、長者屋敷の裏山の東、約2キロ程の所に「真薦(マコモ)池」(現在の青池)と呼ばれる周囲約4キロ程の大きな池があった。この池には昔から大蛇(水龍)が棲み付いており、この大蛇が美しい賀姫に一目惚れし、ある日、美しい小姓の姿に化け、毎朝同じ時刻にお参りして、とうとう賀姫を虜にして池の底深く連れ込んでしまった。

 それを知った夫婦は怒り悲しんだ末に、石を焼いて炎にし、鉄を溶かして湯にし池の中に投げ入れた。その結果、さすがの大蛇もたまらず死んでしまったと言う。

 夫婦は、賀姫の菩提を弔うために、領地を割いて寺を建て、「長楽寺」と名付けた。弁天さまは、その薬師如来の斜め隣になっているが、可哀想な最後を遂げた賀姫のために、その場所を選んで建てたのだそうである。

 現在では押し寄せる宅地化の波により青池も小さくなってしまったが、今もなお、滾滾と湧き出る水を湛えつつ、ひっそりと散歩する人々に癒しと憩いの場を与えている。池のほとりには大蛇を祀ったとされる弁天堂があり、昭和40年代頃までは広がる水田の中に大蛇の跡の「蛇溝(じゃみじょ)」と呼ばれる水路や、溝が太くなった場所の「見返り淵」などが残っていた。

 

※私の藤枝の実家に伝わる物語の一つ。実家に不幸があると、三号瓶を持って青池の水を汲みに行き、仏前に供える仕来りがあるが、理由は分からない。神戸家の菩提寺である長楽寺には、粉川長楽斎婦人が使っていたと思われる髪飾が今も安置されている。