帰って来た大相撲。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-大関

 元横綱の朝青龍が現役で活躍していた頃、相撲は確かに人気があった。様々な問題を土俵の内外で起こし、相撲界の問題児として角界を悩ませ続けた彼ではあったが、相撲界の人気を牽引し続けて来た事も事実であり、恐いもの見たさに朝青龍を一目見ようとその場所に足を運んだ人たちも多かった。

 場所中は連日満員御礼の幕が垂れ下がり、多くの座布団が宙に舞う日も度々あった。しかし朝青龍が去った後の相撲界は、一人横綱となった白鵬の強さばかりが際立ち、そしてまた彼の連勝記録と、白鵬自身の横綱としての孤独な土俵がその責任感として積み上げられて行くばかりであった。

 日本人力士は衰退の一途を辿り、浮かび上がるのは閉鎖的な相撲社会の闇ばかりで、ファンの相撲離れに追い打ちをかけた八百長疑惑。

 不信感ばかりが募る中その疑惑を払拭しようと、相撲協会も漸くその重い腰を上げ本格的に相撲界の改革に乗り出したが、手詰まり感の漂う角界に新風を吹き込むまでには至らず、結局のところ力士たち一人ひとりの「やる気」に任せるしかなかったように思われる。

 今年の新語・流行語大賞に「なでしこジャパン」が選ばれた事からも言えるように、スポーツが人の心に訴え、与える力は限りなく大きい。

 相撲がスポーツかどうかは別としても、多くの相撲ファンが存在し力士たちのぶつかり合う巨体に真剣勝負を期待しその迫力に魅入られるように、土俵の中は神聖な闘いの場所であるのだから、そこに相撲以外の打算や疑念を持ち込むべきではないとわたしは思う。

 様々な紆余曲折を経て、生まれ変わろうとしている相撲界に明るい兆しが見え始めたのは、今年9月の秋場所を大いに沸かしてくれた琴奨菊の新大関誕生であった。

 日本人力士で唯一大関だった魁皇が大記録を土産に引退した後の土俵だっただけに、多くの期待が琴奨菊に注がれており、それを見事に実現した彼の力強い「がぶり寄り」が「万里一空」を生みだしたのである。

 その琴奨菊を追い掛けるように稀勢の里が大関昇進を決めたばかりであるが、2場所連続で日本人の大関誕生は、今後の相撲人気に火を点ける起爆剤になる事は間違いないだろう。

 強い日本人力士が活躍している場所は見ていてもやはり面白い。力士或いは、力士を目指している者にとって横綱は憧れであり、誰もがその地位を目指して日々精進に励んでいると思うが、横綱になる事よりも難しいのが大関という地位ではないだろうか。

 大関に昇進出来る条件は、「3場所連続で三役の地位にあり、その通算勝ち星が33勝以上」となっているが、勝てばそれで良いというほど単純なものではなく、その相撲内容にも大きく左右されるからである。

 横綱は相撲の頂点ではあるが、優勝と勝ち続ける宿命に追われるその果てにあるのは引退だけであり、格下げになる事はない。大関の場合は勝てば天国、負ければ地獄という過酷な位置にある。その意味でも自分の相撲道を最も問われるのが大関である。

 稀勢の里は33勝に一歩届かなかったが、安定した相撲内容が良しとされ大関に相応しいと判断された事から大関昇進となった。現在の幕内力士の中で白鵬と互角に勝負出来るのは、稀勢の里だけではないかとさえ思えて来るのだ。

 土俵に上がった時のふてぶてしさや、その眼光鋭い眼力で相手を威圧する様は勝つ事への拘りが如実に表現されているのである。そしてまた既に横綱になれるだけの素質と身体を持ち合わせている事から、いま最も横綱に近い力士とも言えるのではないだろうか。

 66代横綱の若乃花が去ってから一体何年が過ぎただろうか…。相撲ファンの誰もが期待している日本人横綱の誕生、相撲人気と一緒に日本に相撲が帰って来てくれる事を願うのみである。

 余談ではあるが、元横綱朝青龍が詐欺に合い1億円を騙し取られたというニュースを知った時、本人には悪いが真っ正直な性格の彼らしいと、つい苦笑してしまった。