1979年9月、駿河湾の荒波が海岸に並ぶテトラポットに泡のしぶきとなって砕け散っていた。
海辺には夏の忘れ物が砂利の中にうずくまり、来る筈もない落とし主が現れるのを待っている。
松林に囲まれた大浜公園は人影もなく、潮風に煽られ震えていた。
半年ほど前、公園の近くにアパートを借り新しい人生のスタートラインにわたしは立っていた。
未練の二文字を片手で握り潰し、過去を清算させるつもりでいたが、そう簡単にいく筈もなかった。
友人のSがバイクに乗って浜松からやって来たのは梅雨も明けた7月の下旬。
写植の教室に通う為、約一ヶ月間ほどの滞在で、一通りの知識を頭に詰め込んで8月の終わり頃に、来た時と一緒の格好でバイクに乗り浜松へ帰って行った。
友人がいなくなった部屋で付けっ放しのTVが朝から台風の行方を知らせている。海は今頃荒れているだろうと松林の騒ぐ音を聞きながら煙草に火を点けた。
冷房の無い部屋では、扇風機がカラカラと小刻みに湿気を帯びた海風を部屋中に振りまいている。
独身生活に戻ってみると、自由気ままな時間だけが空しく過ぎて行く。心はまだ一年前のある場所に残したままだった事に気付く。
情けない自分が背負った代償は心に重くのしかかり、眠れない日が続いていた。
土曜日だと言うのに何処へも出掛ける予定のない晩の事だった。
23時から始まったウィークエンダー、泉ピン子がアフロヘアーを左右に揺らしながら三文記事をしゃがれた声でまくし立てている。
電気を消し寝る体制になってベッドから14インチのTVを見つめていた。
風の音に混じって外から雨音が聞こえ出す。それと同時に玄関の扉をノックする音が聞こえて来た。
こんな時間にわたしの所にやって来る知り合いはバイクか車を持っている奴くらいの者だったので、おおよその見当は付いていたのだが…。
2階建てアパートの周りは田んぼだらけで、街灯の少ない夜は真っ暗闇になる。「ドンドン」と数回、闇と雨を砕くような音が響く。
「誰だよ、こんな時間に…」おそらくOかKのどちらかだろうと思っていた。
玄関を開けると潮の匂いが鼻をつく。
「悪いなこんな時間に…」
ぼそっと喋る声と闇の中に浮かんだ長身の男はOでもKでもなく意外な人物だった。
「あれAかよ、どうしたよ」黒いTシャツとブルージーンズ、踵の高い靴を履いたAが一際大きく潮風に揺れて見えた。
天然パーマのかかった黒髪は、手入れを殆どしていない様子で乱れている。大きな黒いギターケースを持ってやって来たA。
予想出来ない突然の訪問者で私の心は嬉しく躍った。彼を部屋に招き入れ、久しぶりの再会に言葉も弾む。
暗く沈んだ部屋に明るさが戻り、笑顔と昔話が深夜まで続いた。彼はSと同じく養護学校からの友人で付き合いも長い。
(続く・・・)