知られざる空(陸空軍) | 新・発動機とともに

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6.7.10 (水)🌤️ 35℃


本当に梅雨の最中なのか?

連日の猛暑が続き、少しは梅雨空が欲しいところ。

どうやら明日から☁🌧️のマ〜クが点灯しました。



戦後、謎に包まれていた零式戦闘機が明らかになり、様々な書が出て脚光を浴びます。

大人から子供の漫画まで…


しかし、戦中の零式は謎でも何でもなく、早くもグラフ紙や写真で「海軍新鋭戦闘機」として一般に公表され、その姿は多くの方々が目にしていました。


手元にある当時のグラフ紙の表紙絵には、母艦上で発艦前の明確な姿が出ており、写真も載っています。

同時に🇺🇸や🇬🇧の戦闘機も掲載され、後のB29の外観や概要までも出ています。

知らなかったのではなく、一般人でも周知の事実でした。

(我がひいジイ様が定期購読していたグラフ紙に、はっきりと出ています)

流石に「大和」「武蔵」は出てません。

「陸奥」「長門」まで。



下は零式21型、天井から吊り下げられているのは隼1型 ↓

(夏季限定公開の博物館、河口湖の近くにて…昨年の夏)


過去に3回ほど、夏になると訪ねています。

全て実機を改修して復元したもので、一式陸攻の胴体、彩雲、93中練、零式の各型×3、隼1型、2型、桜花、数々の発動機や部品等々、大変に見応えのある展示内容です。

東京の九段に展示してある零式も、この博物館の所蔵です。


戦後の戦記ブ〜ムで、多くの書が世に現れて、その中でも「零式」と「大和」は、人々の心を捉えました。

負けたとは言え、一時は空戦や技術では凌駕した。と言う感覚だったかと思います。

図書も漫画も流行りました。


「見よあの空に…遠く光るもの…あれは零戦…僕らの隼人…尾翼に輝く金色の鷲…平和願って今日も飛ぶ…♪」

白黒の📺に流れる出たしの歌とアニメは、時のお子様方に大人気でした。


現代のママさん達が見たら卒倒でしょうね。

この📺の何処が平和なのよと。


戦後、様々な書が出てますが、空に限れば、その多くは海軍航空隊(以下、海空軍)が占めています。

グラマンをバタバタ撃墜する様なイメ〜ジが強くあります。


御本人の手記もあれば、時には専門の影のライタ〜と感じる場合もあり。

勿論、綿密な取材や裏付けの元に書かれた名著も沢山あります。


○月○日、○時、高度○千、

雲高○○、接敵、先制の一撃、格闘戦で右左、くるりと回わって一機撃墜とか…


そんな場面を明確に記載するのは、余程の記憶力と日々の詳細な記録が無ければ、難しい事かも知れませんね。

一見、海空軍の華やなところが人々に受けたのか、戦後の語り部が多かったのか・・・


そして、陸軍航空隊(以下、陸空軍)と言う、もう一つの大きな存在がありました。


「忘れられた空」です。


陸空軍は世に出ることが少なく、華やかな海空軍に比べて地味な印象を受けますが、どうしてどうして、大きな働きをしており、海空軍を凌駕する場面も数多く存在しています。


戦後の語り部が少なく、出版と言う業の中で、日の目を浴びた64戦隊(加藤隼戦闘隊)や244戦隊(東京防空)は別として、

全体的に見れば、多くは世に出ることも無く地味な印象です。


隼2型


米軍が両機をテスト飛行している映像があります。

零式と編隊を組み、隼がヒラリと機動して、運動性の良さが良く出ています。

加速や上昇力は、時に零式以上とも言われます。


世に登場した時には、古式な2枚ペラで、機体に強度不足の問題が出て、難産の末に誕生しました。


用兵側はノモンハンの夢よもう一度と、97戦に近い格闘性能を求め、生産側は無理難題に直面します。

設計主務は中島の小山技師、空力は後にペンシル🚀を打ち上げた天才の糸川技師です。


発動機は1千馬力級、自重を軽くして翼面荷重を小さく取り(翼の面積を大きく)格闘性を重視します。

序に速度も火力も航続力も…


速度と格闘性能は相反するもので、あれもこれもと要求されて、バランスを取るのは大変に難しいことです。

肝心な発動機は一千馬力、自ずと限界がありました。


零式の要求と似てます。

零式は母艦での運用があり、低速での安定や着艦性能(恣意的な墜落に近い操作)を考慮され、艦上機は何れも頑丈な脚でした。


一式戦は零式の翌年に登場して、その後は同じように長い航続力と格闘性に活路を見出します。

マレ〜、仏印、ジャワ、ビルマ、比島、ニュ〜ギニア、ガ島、千島、大陸、内地、その他、幾多の場所で使われました。



2型〜3型とバ〜ジョンアップを

行いながら、防弾装備は零式を上回っています。


その後、陸空軍は生産の主力を、3式戦(液冷)、4式戦(空冷1,800馬力)に移行しますが、何れも発動機の不調、整備性、粗製乱造による機体の不備が最後まで尾を引きました。

隼の生産は休止となります。


本土に迫った艦載機の邀撃では、南方で幾多の空戦を経験した16機撃墜のベテランの戦隊長が…

「グラマンが相手なら一式戦の方が良い…」

そんな証言記録も目にします。


米陸空軍でもP38で最多撃墜のエ〜スパイロット2名が、比島では隼との空戦で撃墜されました。


折をみて、陸空軍の248個に上る、戦隊の軌跡を振り返ってみたいと思います。
そして、今夏も富士山麓の河口湖に近い博物館を訪ねてみたい。

N式1型 Y社バ〜ジョン
7年目になるかなぁ〜?

まだまだ新品状態ですのよ。

ど〜も車輪がねぇ〜〜

要交換かも…💦