金城霊澤の伝説と史実そして今⑦金澤神社のみどころ | 市民が見つける金沢再発見

金城霊澤の伝説と史実そして今⑦金澤神社のみどころ

【金澤兼六園】

金澤神社拝殿:入母屋造、桟瓦葺も妻入で、正側面にはね高欄付の切目縁、正面に向拝を付けています。軒は三斗組で一軒半繁垂木、妻は虹梁(こうりょう) や豕叉首(いのこさす) の形式のまま表わしたもので、内部は主体部を格天井、本殿側は両下屋根の釣殿形式とし,釣殿部分に高欄付の反り橋を設けられています。現在は、本殿及び拝殿は登録有形文化財として、平成16年(200432日に指定されています。

 

(建物は江戸時代末期( 1830-1867)構造及び形式は木造平屋建て、銅板葺、建築面積40㎡)

 

(はね高欄付の切目縁)

 

神門:平成2年(1990)老朽化により取り壊され、平成5年(1993)に復原竣工。隋身様と呼ばれる神像が祀られていることから、隋身門とも呼ばれる、またこれにちなんで、二の鳥居前の坂道が隋身坂と名づけられています。

 

 

(神像の背面に「文政四年辛巳 献上 菅原直時 春正月吉祥日」と記されていることから、加賀藩八家・前田土佐守家7代前田直時の奉納とされる。)

 

奉納稲荷鳥居:平成20年(19458月 前田家鎌倉邸より、稲荷社御分霊と共に移築奉納された鳥居。前田家に慶事があるごとに奉納された、縁起の良い鳥居です。鳥居の他にも御神鏡・掛け軸・稲荷石像・御神像・観音石像・手水鉢・絵馬など縁の品々二十一品が奉納されました。

 

 

板屋神社遥拝所:入り口の階段下の脇には板屋神社謡拝所があります。今から、約360年に当時としては、画期的な技術で金沢城へ用水を引いた「板屋兵四郎」を祀る板屋神社を園内から参拝するための建物で、遥拝所横には、石管(当時の水道管)があります。これは兼六園や金沢市内に水を供給している辰巳用水を作った板屋兵四郎を祀ったもので、石川県では土木工事の神様として崇拝されています。

 

お水取り:手水舎の水(飲料水)は、境内の井戸より二十四時間くみ上げています。井戸の水源は「金城霊沢」の地下水源と同じで、地元の方や県外からの参拝者に、広く親しまれています。

 

 

お砂取り:手水舎横に、清め砂が用意してあります。

 

 

夢牛:明治から昭和に掛けて活躍した彫刻家で作陶家の都賀田勇馬氏作奉納したもので、勇馬氏は金沢に生まれ、30歳のとき8回目に「親子牛」が帝展初入選し、これを機に朝倉文夫先生に師事。47歳の時、石川県工芸指導所窯業課長として石川県に赴任。以後、八幡窯九谷焼置物の原型作成・指導を行う。49歳の時、安宅関跡設置の弁慶・富樫の像を制作。50歳で勇退後、59歳で日展審査員となっています。終戦後の昭和26年(60歳のとき)に小松のハニベ岩窟院を創設しています。他に金石の銭屋五兵衛の像や台湾の烏山頭ダムの畔にある土木技師八田與一の像が有名です。

 

 

北条時敬頌徳碑:北条 時敬(号廓堂)氏は安政5年(1865)の金沢生まれ。明治時代から大正時代にかけての日本の教育者で、第四高校校長等を経て、東北帝国大学総長、学習院長、貴族院議員を歴任します。第四高校長時代首相の伊藤博文金沢滞在の折、金沢に学徒が多いから鉉歌飲食しないよう手紙を送り「金沢に北条なるものあり畏るべし」といわしめた逸話があります。

 

木村杏園誌碑:杏園は、明治18年(1885)金沢生まれ、画家橋本関雪に師事した日本画家で、加賀友禅の人間国宝木村雨山は弟です。(手前の碑)

田中智学の碑:文久元年(1861)江戸生まれ、日蓮宗の僧であったが明治12年の脱宗。近代仏教会の代表的な人物で、大正3年(1914)国柱会を組織して強烈な日蓮主義を唱えた。碑は大正13年(1924)の夏、金沢で布教講演の折に、来園し兼六園の美を賞し作ったものだそうです。(奥の碑)

 

 

湯本求眞先生顕彰碑:七尾に生まれ、明治34年金澤医学専門学校卒で日本・漢方の隆盛と中国・中医学の復興に大いに寄与した医師。

 

神輿堂:毎年9月下旬の「御山まつり」に小立野台一帯の厄年の人々によって担がれる神輿が納められています。

 

いぼ石:放生池の畔、金澤神社の鳥居の下にあり“いぼ”をこすると取れると云われる楕円形の石は、横約80cm、幅約50cm、高さ約24.5cmのすべすべした御神石で、12代斉広公の夫人真龍院が能登鹿島郡町屋村から移したものです。町屋村(現七尾市町屋町)には、「いぼ池」というのがあり、この池の石でこすると“いぼ”が取れると云われ、神格化されて伊保社(いぼいけしゃ)として祀られていた。明治41年(1908)に住吉神社に合併だれたが、この伊保池神社は、いぼ池の横にあって、社殿はなく石をもって御神体としていたという。

 

(かって北廊某楼の娼妓、陰具に疣(疣)を生じ業を営むこと能(かな)はざりしが、神苑に是石のあることを聞き、ここに来て磨すること一両回、疣(いぼ)は落ちて其痕跡を止めずといふ)「金沢市街独案内」明治277月刊」

 

 

金澤神社は、学問の神様として、また、加賀藩前田家の祖先といわれている「菅原道真」を祭った神社で、はじめは藩の学問所「藩校」の鎮守として建てられたことから、金沢市内でも一番人気の受験の願掛けの神社でもあります。なお、金澤神社の御朱印や御朱印帳袋は、拝殿右手の授与所で頂けます。

 

(授与所)

 

拙ブログ

天神さん⑤兼六園と金沢神社

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11509749433.html

 

 

(おわり)

 

参考文献:「兼六園を読み解く」著者長山直治 桂書房 200612月発行「兼六園全史」編輯者兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所 昭和5112月発行