山川庄太郎家と金沢湯涌江戸村① | 市民が見つける金沢再発見
2011-08-13 00:08:18

山川庄太郎家と金沢湯涌江戸村①

テーマ:伝説・伝承

【浅野川左岸・上流の湯涌】

山川庄太郎家は、むかし竪町の片町寄りにあり、はじめて飲んだウインナーコーヒーと美人のママさんに惹かれて通った“郭公“の少し上でした。


市民が見つける金沢再発見-中の間
(湯涌・山川家中の間)


”スムスコ“と竪町の通りとの間に”木製の柵“があり、建物全体は、はっきり覚えていませんが、印象に残っているのは、今、湯涌に移築してベンガラ塗りや新しいスムスコの美しい建物とは随分趣が違い、古色蒼然としていたように記憶しています。


市民が見つける金沢再発見-山川③
(湯涌の山川家・見えないけど屋根は石置き)


近所の”郭公“のモダンな洋館風と比較するまでもなく、当時の竪町でも、場違いなように見えました。そして”どんな人が住んでいらっしゃるのだろうか?”と思いながら通っていたような気がします。


市民が見つける金沢再発見-山川2

(ベンガラ塗りの湯涌・山川家)

その後、昭和42年(1967)湯涌の白雲楼ホテルの施設としてオープンした「江戸村」に移築され永久保存されるはずでしたが、「江戸村」は30年後の平成9年(1997)に閉鎖されます。建物は解体されていましたが、金沢市は、現在地に再移築し、去年、平成22年(2010)9月、移築が完了。他の農家、武士住宅、商家、宿場問屋、武家門などと計8棟は、金沢市が運営する「金沢湯涌江戸村」としてオープンしました。


市民が見つける金沢再発見-ベンガラ
(湯涌・山川家のさがり)


山川家は、藩政末期から明治・大正・昭和初期にかけて繁栄した商家で、天保期(1830~43)庄太郎氏の祖父甚兵衛氏が、「米出屋」と名乗って質屋兼米の蔵宿を開業し、明治以後の「米出屋(山川酒造店)」は 酒造業(昭和14年まで)も始め清酒「稲の華」を発売。繁盛して新興財閥になりました。庄太郎氏の母堂は、尾張町の名門松岡家の出で、妻は銭屋五兵衛の一族とかで、縁類一同、明治の金沢経済界の大立者揃いだったそうです。


市民が見つける金沢再発見-座敷
(湯涌・山川家の座敷)


山川家の住宅は、天保の始め頃(天保元年1830)に建てられた石川県指定の有形文化財です。また、今はあまり聞かれませんが、三代目の庄太郎氏は石川県立美術館にある国宝「野々村仁清作色絵雉香炉」の寄付者としても有名でした。


市民が見つける金沢再発見-茶室
(庭から見た茶室)

初代も二代目も古美術品、中でも茶道具の収集家で茶人だったそうで、三代目の庄太郎氏は、戦後、一切の職業や公職を退き、質素な生活を送って、伝来の古美術品を守ってこられたそうです。


市民が見つける金沢再発見-県美
(石川県立美術館)


石川県立美術館館長の嶋崎 丞(すすむ)氏が、お書きになっている“石川県立美術館だより“によると、昭和33年秋、昭和天皇が石川県へ行幸されることが決定し、また昭和34年開館の美術館の準備中でもあり、県では、これを記念して「色絵雉香炉」を寄付して戴けないか、ということになったそうです。


市民が見つける金沢再発見-山川作品
(山川家が寄付した作品の一部・湯涌・山川家デイスプレーより)


そこで寄付していただいた場合には、昭和天皇の天覧にも供するということで、県から庄太郎氏に打診されたそうです。庄太郎氏は、私有するより公共財産として公開する機会を考えていたようで、名誉なこととして快諾されたといわれています。


市民が見つける金沢再発見-県美たより
(友の会向けに発行している石川県立美術館だより)


この「色絵雉香炉」を元は前田家の所蔵で、拝領したのが利常の御小将であった横浜茂元で、加賀藩の由緒書などに出ているそうです。その横浜家の屋敷は、現在の美術館の目の前にある能楽堂あたりにあったようで、天保期、横浜家はいろいろあって知行も召し上げられ、経済的に大変困り、「色絵雉香炉」を質屋の山川家初代甚兵衛の元に持って行き、やがてお金を返す事が出来なくなり、そのまま山川家のコレクションとなっていたそうです。


市民が見つける金沢再発見-スムスコ
(湯涌・山川家にスムスコ)


石川県に行幸された昭和天皇は「色絵雉香炉」をご覧になられ、“個人の財産であると同時に国の宝でもあるので、今後ともくれぐれも大切にこれを保管されるように”とお言葉があり、それを伝え聞いた山川庄太郎氏は、目から涙を流して感激されたと書かれています。



市民が見つける金沢再発見-彩雉
(石川県立美術館にある"彩雉"の碑)


山川庄太郎氏がお亡くなりになって10年目の昭和45年(1970)、この遺徳を顕彰する意味で旧美術館前庭に記念碑「彩雉」の碑が建立されました。そして昭和58年(1983)の現在の石川県立美術館の建設に伴い正面右側の中庭に移され、現在に至っているそうです。“彩雉”の文字の揮毫は、故中西陽一前知事がお書きになられました。


(山川氏の遺言によって、昭和36 年に山川美術財団が結成され、名宝131点は美術館に寄託され、現在の美術館のオープンの時にそれらの寄託品は一括寄付になりました。)


市民が見つける金沢再発見-ビック
(ビッグカップル)

以来、「色絵雉香炉」は石川県立美術館の顔として大切にされてきました。その30数年余り後「色絵雉香炉」が、ここに展示されていることを知った人から、「持っている仁清の雌の雉香炉を一緒に展示してほしい」という申し入れがあり寄贈されました。この雄雌は300年以上の時を超えてめぐりあえた奇跡のビッグカップルということになります。


参考文献:昭和50年10月(株)北国出版社発行、編者田中嘉男「加賀能登の家」・石川県立美術館発行「石川県立美術館だより」など

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