尾張町①石垣下の一等地! | 市民が見つける金沢再発見
2011-01-23 16:13:51

尾張町①石垣下の一等地!

テーマ:伝説・伝承

【浅野川大橋→中の橋間】
藩政期は、中町から枯木橋までを下尾張町、武蔵が辻側は上尾張町と言いました。同じ石垣下でも、お殿様が参勤交代で通る道筋は、家の造りも良くして置かなければならないし、臭いや目障りになるようなものは置けない、当然、雑用(ぞうよう・経費)も掛かるので下尾張町の方が別格で格式が高かったそうです。


市民が見つける金沢再発見-下尾張町
(現在の下尾張町)

(藩政期、金沢城近くに住む尾張町の人々は、藩主のお声がりが真下に伝わるところで暮らさせて戴くと言うことから、誇りと愛着を込めて石垣下(いしがきした)といったと言われています。)

市民が見つける金沢再発見-尾張町地図

(尾張町と紙屋庄三郎旧跡の地図・文化8年の金沢町絵図より)

中町と下尾張町の角家に紙屋庄三郎の店舗がありました。おそらく、今風に言うと固定資産税が町で一番高い一等地というところでしょう。しかも、その店は下尾張町が町立されて以来の旧家で、元禄時代にはすでに町年寄を仰付っていて、土地は拝領地のようです。代々町年寄役を勤めた家柄町人で、家業は干菓子を製造し、幕府に進献する菓子なども命じられた高名な菓子屋だと聞きます。しかし、今は古地図に残るのみ・・・


市民が見つける金沢再発見-kosakajimmjya
(現在の小坂神社)

さらに、紙屋庄三郎宅旧跡の歴史を遡ると、この辺りは小坂村で、旧跡には小坂神社が有ったと言う説もあります。藩政初期、金沢城下の町が広がり、小坂村は現在の大樋口に移転させられ、小坂神社も春日山の現在地に移転したのだと伝え聞きます。


市民が見つける金沢再発見-中町通り
(現在の中町通り)

小坂村の地名の由来を調べてみますと、今でも尾坂門(大手門)から中町にかけてなだらかな小坂道になっていて、どうもここから小坂村の村名が付けられたのだと言います。また、別の説もあって、小立野のオッポの坂だから“尾坂(オサカ)”だと言うものです。


市民が見つける金沢再発見-大手門
(尾坂門(大手門))

今でも小坂地区に住む古老の中には、小坂のことを“オッサカ”と言う人もいます。いろいろ有ります・・・・両方とも伝われば良いと思いま~す。


さてさて、どうでもいい話ですが、50数年前に、この紙屋庄三郎旧跡にうどん屋がありました。私は、そのうどん屋でかなりの期間アルバイトの出前持ちとして働きました。中町が主なテリトリーでしたが、東は橋場町のパチンコ屋さん、西は武蔵が辻の同業者もいて、遠出はなく尾張町の中程のお寿司屋に行ったのを思いだしました。南はホテル金沢のところにあった税務署。北は小橋まで行っていました。


市民が見つける金沢再発見-紙屋①
(現在の紙屋庄三郎旧跡)

確か日給は270円ぐらいだと思います。かけうどんは15円か20円、ラーメンは45円でした。同僚より15円だったと思いますが、君には高く払っていると言われ、認められたような気がして、物凄く嬉しかったことを思い出しました。時給ではなくて日給です。そんな時代でした・・・・・


市民が見つける金沢再発見-中町屋
(現在の中町の町屋)

金沢は歴史の街です。そこここに、その時代の人々の営みが重層し、詰まっています。ちょっこし掘るだけで、いろいろ語り掛けてきます。うぶだった自分のことまで・・・


参考文献:森田平次著「金沢古蹟志第三編」、石野琇一著「のれんが“粋づく”あきないの街・拾の物語り」他

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