市民が見つける金沢再発見

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2019-01-15 13:23:42

作庭記と兼六園-上-⑯

テーマ:伝説・伝承

【兼六園】

20、 

《原文》遣水の石をたつるにハ、底石、水切の石、つめ石、横方、水こしの石あるべし。これらはミな根をふかくいるべきとぞ。

横石は事外ニすぢかへて中ふくらに、面を長くみせしめて、左右のわきより水を落たるが、おもしろき也。ひたおもてにおちたる事もあり。

遣水谷川の様ハ、山ふたつがハざまより、きびしくながれいでたるすがたなるべし。水をちの石は、右のそばへおとしつれバ、又左のそバヘそへておとすべき也。うちゝがへうちゝがへこゝかしこに、水をしろくみすべき也。すこしひろくなりぬるところにハ、すこしたかき中石をゝきて、その左右に横石をあらしめて、中石の左右より水をながすべき也。その横石より水のはやくおつる所にむかへて、水をうけたる石をたてつれバ、白みわたりておもしろし。

 

 

(大和武尊の前から七福神山へ)

 

(訳:遣水の石を立てるには、底石、水切の石、つめ石、横方、水越しの石が有るべきで、これらは皆、根を深く入れるべきです。

横石はことの外、筋交へて中をふっくらに、面を長く見せて、左右の脇より水を落ちるのが、お面白い。しかし面に落ちる事もあり。

遣水は、谷川の様で、山二つの狭間より、厳しく流れる姿を良い。水落ちの石は、右のそばへ落としつれば、また、左の傍ヘ添えて落とす。打ち違え打ち違え、ここかいしこに、水を白く見える。少し広くなるところには、少し高き中石を置き、その左右に横石をあらしめて、中石の左右より水を流すべきで。その横石より水の早く落とす所に向かへて、水を受けたる石を立てれば、白みが行き渡り面白い。)

 

(七福神山の雪見橋)

(亀甲橋の下)

(木橋の上)

 

兼六園では

兼六園の曲水中、亀甲橋下の水の中石(横石)または「徽軫灯籠(ことじとうろう)」付近から噴水の処に入る細流、白龍端はみんな「鑓水谷川のさまは、山二つが狭間より厳しく流れるたる姿なるべし」に相当する処です。

(虹橋の上)

(虹橋したの鑓水口)

(虹橋下の鑓水に架かる石橋)

(虹橋下、谷川様の鑓水)

 

21

《原文》一説云、遣水ハそのミなもと、東北西よりいでたりといふとも、対屋あらばその中をとおして、南庭へながしいだすべし。又二棟の屋のしたをとをして、透渡殿のしたより出て池へいるゝ水、中門の前をとおす、常事也。

又池ハなくて遣水バかりあらば、南庭に野筋ごときをあらせて、それをたよりにて石ヲ立べし。

又山も野筋もなくて、平地に石をたつる、常事也。但池なき所の遣水ハ、事外ニひろくながして、庭のおもてをよくよくうすくなして、水のせゝらぎ流ヲ堂上よりミすべき也。

遣水のほとりの野筋にハ、おほきにはびこる前栽をうふべからず。桔梗、女郎、われもかう、ぎぼうし様のものをうふべし。

又遣水の瀬々にハ、横石の歯ありて、したいやなるををきて、その前にむかへ石ををけバ、そのかうべにかゝる水白みあかりて見べし。

又遣水のひろさは、地形の寛狭により、水の多少によるべし。二尺三尺四尺五尺、これミなもちゐるところ也。家も広大に水も巨多ならば、六七尺にもながすべし。

 

(亀甲橋、木橋の下、月見橋)

 

(訳:一説云、遣水は、その源、東北から西に出でたりと云うが、対屋あらばその中を通して、南庭へ流すべし。又二棟の屋の下を通して、透渡殿の下より出て池へいるる水、中門の前を通すのが常識です。

又池は無くて遣水ばかりあれば、南庭に野筋を造り、それを頼りに石を立てる。また山も野筋も無くて、平地に石を立てるにが常識です。かつ、池なき所の遣水は、事のほか広く流して、庭のおもてをよくよく薄くして、水のせせらぎの流を堂上より見すべきで。

遣水の畔の野筋(なだらかな丘陵)には、多く蔓延る前栽を植えるべからず。桔梗(キキョウ)、女郎(オミナエシ)、吾亦紅(ワレモコウ)祇帽子(ギボウシ)様なものを植えるべし。

 

また、遣水の瀬々には、横石の歯ありて、下屋なるを置きて、その前に向かい石を置けば、

そのかうべにかかる水白みあかりて見べし。

また、鑓水の広さは地形の寛狭により、水の多少によるべし。二尺三尺四尺五尺、これ皆持ちところ也。家も広大に水も巨多ならば、六七尺にも流すべし。)

 

(兼六園の地図に竹澤御殿の建物を書き込む)

(噴水から白龍端への白い鑓水)

(白い黄門橋下の流れ)

 

兼六園では

本項の「庭の面をよくよく薄くして、水のせせらぎの流れを堂上より見えるようする。」とあるのは、千歳台、元竹澤御殿正面、七福神山前を流れる曲水の辺りを現していて、亀甲橋の辺りに曲水は、広く浅く緩やかです。また、「下屋なるを置いて、その前に向え石を置けば、その首にかかる水、白みあかりて見ゆべし」は白龍端の谷底の向へ石を云うのでしょう。それは、白龍端の水は白く見えたからと思われます。

 

(白瀧端下、谷川様の白い流れ)

 

以上「作庭記-上-」完

 

(つづく)

 

参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所  兼六園観光協会 昭和5112月発行 「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 200612月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成53月発行 「武家屋敷寺島蔵人邸跡所蔵品録」財団法人金沢市文化財保存団 平成73月発行

2019-01-10 16:40:09

作庭記と兼六園-上-⑮

テーマ:伝説・伝承

【兼六園】

18

《原文》一、水路の高下をさだめて、水をながしくだすべき事ハ、一尺に三分、一丈に三寸、十文に三尺を下つれバ、水のせゝらぎながるゝこと、とゞこほりなし。但値すゑになりぬれバ、うるハしきところも、上の水にをされてながれくだる也。当時ほりながして水路の高下をみむことありがたくハ、竹をわりて地にのけざまにふせて、水をながして高下をさだむべき也。かやうに沙汰せずして、無左右く屋をたつることは、子細をしらざるなり。水のミなかみ、ことのほかにたかゝらむ所にいたりてハ、沙汰にをよばず。山水たよりをえたる地なるべし。道水ハいづれのかたよりながしいだしても、風流なく、このつまかのつま、この山かの山のきはへも、要事にしたがひて、ほりよせよせおもしろくながしやるべき也。

南庭へ出すやり水、おほくハ透渡殿のしたより出テ西へむかへてながす、常事也。又北対よりいれて二棟の屋のしたをへて透渡殿のしたより出ス水、中門のまへより池へいる〓常事也。

 

(時雨亭の新しい鑓水)

(山崎山下の辰巳用水取り入れ口・曲水(鑓水)の入口)

 

(訳: 一、水路の高下を定めて、水を流し下すことは、一尺に三分、一丈に三寸、十文に三尺を下つれば、水はセセラギを流れは滞こうりがない。しかし流れたの末流は、麗しきところも、上の水に押されて流れくだります。当時、堀を流して水路の高下を見向くことありがたくは、竹をわりて地にのけざまにふせて、水をながして高下を定めつべきで。かような内容は内密にせず、無左右く屋を建てることは、子細をしらざるなり。水の皆上、ことの他に高からむ所にいたりては、沙汰にをよばず。山水にたよりを獲たる地なるべし。道水はいづれのかたより流し出だしても、風流なく、このつまかのつま、この山かの山のきはへも、要事に従がひて、ほりよせよせ面白く流しやるべきです。

南庭へ出すやり水、多くは透渡殿の下より出て西へ向かえて流す、当たり前の事です。又北対よりいれて二棟の屋の下をへて透渡殿の下より出す水、中門の前より池へ入るのが当たり前の事です。)

 

 

(白龍端の上から下の流れ)

 

兼六園では

兼六園の蓮地庭を流れる「白龍端」は、「急勾配で、そのせせらぎの音は、琴の調べに似ている」と云われていますが、その下流には、夕顔亭があり、その夕顔亭の別名は「聴琴亭」と云われたのもこの辺から来ているのでしょう。兼六園の曲水の妙(七福神山より虹橋に至る)は本項に合致していて、曲水より霞ヶ池の入る虹橋の処、此処に石を立ててあります。ここが兼六園の最も特徴的な処であるといえます。

 

(兼六園全史の筆者は、この曲水の辺りと蓬莱島の景色が、当時、竹澤御殿に出仕していた木彫家で早雲流盆砂(盆石)の家元景雲堂友月(武田友月)の盆砂の作品に似ている書かれています。)

 

拙ブログ

マルチな遠所者、武田友月

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=15&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjUwev_juzfAhVVa94KHR9oDikQFjAOegQIBBAB&url=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fkanazawa-saihakken%2Fentry-12010082463.html&usg=AOvVaw3sMHsdmNlVbYsJMPpmKsh5

 

(夕顔亭)

 

19

《原文》遣水の石を立る事は、ひたおもてにしげくたてくだす事あるべからす。或透廊のしたより出る所、或山鼻をめぐる所、或池へいるる所、或水のおれかへる所也。この所々に石をひとつたてゝ、その石のこはむほどを、多も少もたつべき也。

 遣水ニ石をたてはじめむ事ハ、先水のおれかへりたわみゆく所也。本よりこの所に石のありけるによりて、水の、えくづさずしてたわミゆけバ、そのすぢかへゆくさきハ、水のつよくあたることなれバ、その水のつよくあたりなむとおぼゆる所に、廻石をたつる也。すゑざまみなこれになずらふべし。自余の所々はた〓わすれざまに、よりくる所々をたつる也。とかく水のまがれる所に、石をおほくたてつれバ、その所にて見るハあしからねども、遠くてミわたせバ、ゆへなく石をとりおきたるやうにみゆる也。ちかくよりてみることはかたし。さしのきてみむに、あしからざるべき様に、立べき也。

 

(七福神山から亀甲橋)

 

(訳:遣水の石を立る事は、ひた面にしげく立て下す事あるべからす。あるは透廊の下より出るところ、あるは山の端を廻るところ、あるは水の折れ返るところと 。この所々に石をひとつ立てて、その石のこはむほどを、多も少もたつべきです。

 遣水に石をたてはじめむ事は、先水の折れ変り、たわみゆく所で。本よりこの所に石のありけるによりて、水の、えくづさずしてたわみゆけば、その筋替えゆく先は、水の強く当たることなれば、その水の強く当たりなむとおぼゆる所に、亦、石をたつる。すえさま、みなこれに習うべし。自余の所々はただ忘れるさまに、よりくる所々を立てる。とかく水の曲がれる所に、石を多く立てつれば、その所にて見るはあしからねども、遠くて見わたせば、ゆへなく石をとりおきたるやうに見ゆる也。近くよりて見ることはかたし。さしのきてみむに、あしからざるべき様に、立べきです。

 

(兼六園虹橋)

(虹橋辺り)

(霞ヶ池の落とし口)

(鑓水沿いの春日灯篭)

 

兼六園では

兼六園全史の筆者は、本項が作庭記中で最も絶賛している箇所です。1口に云うと水の曲がる処(激流)に石を多く立てると、その場所のみは非常によいが、退きて遠方より見ると、ことさらに付け足した様にみえるて悪しきことを戒めたものである。さりとて曲がり角に石を立てるなど云ったのだと云い、この辺りが作庭記編者の心にくいまで上手く作庭の妙を書き表してあると述べています。

曲水より霞ヶ池の入る虹橋の処、此処に石を立ててあります。よって曲水の少し上、杜若の処には石が少ない、これは作庭記の云わんとしている処です。また、霞ヶ池落とし口裏の小滝から翠滝上の至る処が大石が無くて春日灯篭が立っています。白龍端を下る曲がりに至るところには石と草で水面が定かではないが、流れは三芳庵本館に至ります。

 

(つづく)

 

参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所  兼六園観光協会 昭和5112月発行 「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 200612月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成53月発行 「武家屋敷寺島蔵人邸跡所蔵品録」財団法人金沢市文化財保存団 平成73月発行

2019-01-07 20:30:24

作庭記と兼六園-上-⑭

テーマ:伝説・伝承

【兼六園】

17、弘法大師高野山・・・。

《原文》弘法大師高野山ニいりて、勝地をもとめたまふ時、一人のおきなあり。大師問テのたまはく、此山に別所建立しつべきところありや。おきなこたへていはく、我領のうちにこそ、昼ハ紫雲たなびき、夜ハ露光をはなつ五葉の松ありて、諸水東へながれたる地の、殆国城をたてつべきハ待れといへり。但諸水の東へながれたる事ハ、仏法東漸の相をあらはせるとか。もしそのぎならバ、人の居所の吉例にハあたらざらむか。

或人云、山水をなして、石をたつる事ハ、ふかきこゝろあるべし。以土為帝王、以水為臣下ゆへに、水ハ土のゆるすときにハゆき、土のふさぐときにハとゞまる。一云、山をもて帝王とし、水をもて臣下とし、石をもて輔佐の臣とす。かるがゆへに、水ハ山をたよりとして、したがひゆくものなり。但山よはき時ハ、かならず水にくづさる。是則臣の帝王をおかさむことをあらハせるなり。山よはしといふハ、さゝへたる石のなき所也。帝よハしといふハ、輔佐の臣なき時也。かるがゆへに、山ハ石によりて全く、帝ハ臣によりてたもつと云へり。このゆへに山水をなしてハ、必石をたつべきとか。

 

(栄螺山(さざえやま)より霞ヶ池)

栄螺山(さざえやま)解説板)

(栄螺山(さざえやま)の山頂の三重宝塔)

 

(訳:弘法大師高野山に入り、勝地を求めた時、一人の翁に出会い。大師が此山に別所を建立するべき所はあるか聞くと、翁応えて、我領のうちにこそ、昼は、紫雲たなびき、夜は、露光をはなつ五葉の松ありて、諸水東へながれたる地の、殆国城(弘法大師の拠点)をたてつべきは待れといへり。但、諸水の東へながれたる事は、仏法東漸(仏教は東(インド)からやってくる)の相をあらはせるとか。もしそのぎならば、人の居所の吉例(非常に良い)といえる。

 

(五葉松が有る、2年前の木橋)

(五葉松が無い、最近の木橋袂)

 

或人が云には、山や水路・池等を作り、石を立てる(ここでは居所として整備するといった広い意味)ことは非常に深い意味がある。以土為帝王(中国故事に出てくる理想の帝王)、以水為臣下(同家臣)のように、水(家臣)は土(主)の意志に沿って動き、土(主)が自重せよと言った時は動かない。

 

(主)が弱いと言う事は支える石(家臣)が無くなると言う事。だからこそ、山(主)は石(家臣)よりも全てに対してただしくあるべきだ。同時に帝王は良い家臣がいてこそ存在することが出来る。だからこそ、山があり、水があり、そして石があることが(拠点となる建物や庭を作る)必須条件となる。)

 

(「今は昔、弘法大師わが唐にしてなげしところの三鈷落ちたらむ所を尋ねると思ひて弘仁7年(816といふ年の6月に王城を出でて尋ねるに大和国宇智の郡に至りて一人の猟人に会ひぬ。その形面赤くしてたけ八尺ばかりなり。(中略)即ちこの人大師を見て過ぎ通るにいはく、何ぞの聖人のあるきたまふぞと。大師のたまはく、われ唐にして三鈷を投げて禅定の霊穴に落ちよと誓ひき。今その所を求め歩くなりと。猟人のいはくわれは南山の犬飼なり。われその所を知れり。すみやかに教へたてまつるべしといひて犬を放ちて走らしむる間犬失せぬ。そこに一人の山人に会ひぬ。大師はこのことを問ひたまふに、ここより南に平原の沢あり、これその所なり。明くる朝に山人大師に相具して行く間密かに語りていはくわれこの山の主なり。すみやかにこの領地をたてまつるべしと。山のなかに百町ばかり入りぬ。山のなかはただしく鉢をふせたる如くにて莚にり峯八つ立ちて登れり。桧のいはむ方なく大きなる、竹のやうにて生ひ並びたり。そのなかに一つの桧のなかに大きな竹股あり。これを見るに喜びかなしぶこと限りなし、これ禅定の霊堀なりと知りぬ。大師この山人は話人ぞと問いたまへば丹生の明神となむ申す。今の天野の宮これなり。犬飼をば高野の明神となむ申すといひて失せぬ」と、はなはだ説話風ですが「作庭記」と同調のものが書かれいることが明らかです。(弘法大師入定の地・今昔物語 ( 11-25 ) 保安元年(1120)より)

 

兼六園では

「兼六園全史」の筆者は能楽にも造詣が深く、今回の弘法大師と兼六園との繫がりを謡曲「高野物狂」を例にお書きになっています。また、作庭と君臣を山・水・土の関係を謡曲「国栖」を例示し「それは君を舟、臣は水、水よく舟を浮かむとも、此の忠勤によもしかり」とあります。

 

(高野山の金剛峯寺)

(栄螺山(さざえやま)の山頂の三重宝塔)

 

謡曲「高野物狂」は、此の項に意訳してあるところが有るとし、「中にも三鈷の松、大同2年?のご帰朝以前に、我法成就円満の地の。しるしに残り留まれとて。三鈷を投げさせたまひしに、光と共に飛び来たり、此の松枝の梢にとどまる。」以上は謡曲文であるが、これは三鈷の松といって五葉松である。兼六園内にも五葉松(姫小松・一昨年枯れる)が所々に有り、太子の旧蹟を物語るところもある。即ち我が郷里で大師の言伝えの現存する処は、能登の法吼山法住寺だけである。この法住寺の桜で刻した仏像を「栄螺山(さざえやま)山頂三重宝塔内に納めたと云う。

 

(金沢養智院の伝承によれば、ご本尊地蔵菩薩は加賀延命地蔵と称され、天長2年(825)弘法大師が北国を巡錫された時、能登の国吼桜山に登り一の霊木を以って一刀三礼して彫刻されたと伝えられています。)

 

 

 

拙ブログ

養智院と鬼川

http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11456182597.html

 

また、前期謡曲文“高野物狂”によると大同2年?は大師のご帰朝の年に当たる、兼六園千歳台大同2の地蔵の刻印と同じ年号である。この地蔵は12代斉広公の枕石である。以上を見ると三重塔も斉広公像を納む。何か斉広公と大師と関連がある様に思えてならぬ。と、筆者は感慨深げに書かれています。

 

 

 

(註:大同元年(80610月、空海は無事、博多津に帰着。大宰府に滞在し、呉服町には東長寺を開基し、在唐中集めた密教経典・法具などを記した『御請来目録』を朝廷に奉呈し、 筑紫観世音寺 (ちくしかんぜおんじ )に、そして大同4年(809)、朝命により上京し 高雄山寺( たかおさんじ) に入住しました。)

 

 

 (空海弘法大師)

 

(空海は歴代天皇の篤い帰依を受け、仏教諸宗の中にも真言密教が浸透していきました。また、一宗の根本道場として東寺を賜り、43歳の弘仁7年(816)には、嵯峨天皇より高野山を賜りました。45歳の弘仁9年から4年間余りは、高野山を中心に過ごされ、修法や著述などにいそしまれました。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』等)

 

(つづく)

 

参考文献:「兼六園全史」編輯者 兼六園全史編纂委員会・石川県公園事務所  兼六園観光協会 昭和5112月発行「兼六園を読み解く」長山直治著 桂書房 200612月発行 「兼六園歳時記」下郷稔著・能登印刷出版部 平成53月発行 

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