変な話を書く。
わたしは、幼い頃より動揺しやすい子どもだった。
不安や悲しみ、恐れのセンサーが人一倍強いのだと思う。
それは、大人になってからもある程度変わらず、
今もその性質を持ち合わせている。
些細なことで、感情があまりにも大きく揺れるため、
いつからか
「これをわたしだけのものにしておくのはもったいないな。」
と思うようになった。
恥ずかしさとか、不安とか、恐れとか、、、
程度の違いはあれど、誰しも持ち合わせているものだと思うし、
人によってはそれらを「隠すべきもの」とか
「悟られてはいけないもの」と思っていたりすることもあるんじゃないかな。
それってなんか、寂しいよね。
もしも、恐怖や、不安というものに実体があるとすれば、
隠されたり、まるで存在しないものであるかのように扱われるのは、
とても悲しいことだと思うのだ。
まあ、わたしも今週、心が揺れることがあったのです。
身近な人の怒りに触れて、怖くて、怖くて、たまらなくて、
身体がガタガタと震えて。。。
まあ、ほんと、怖かったんだよね。
その日の夜、同棲中の彼に「実は今日、こんなことがあったんだよね。すごく怖かったんだ。」
と話を聞いてもらって、身体をぎゅっと抱きしめてもらった。
自分でも、「怖かった。」という感情を「そうだよね。」「怖かったよね。」
と寄り添ったつもりでいたけど、それらは十分でなかったかもしれないなー、と今になって思う。
この三日くらい、なんだか身体がとても凝りやすくて、
「あ、身体に感情が溜まってるのかな」
と今日ふと思った。
ゆっくりゆっくりお風呂に入ったり、セルフマッサージをしたりするのもいいけど、
この高ぶる感情の波を・・・まあ、海でいうと「シケ」を、
こういう風に言葉にしてみたいなあと思ったのだった。
うまく言えないけど、そんなことを思っている。
おはようございます
スエヒロカナエです
昨日まで長い長いゴールデンウィークでしたが、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。
昨日久しぶりにアメンバー記事をあげまして、そこにも書いたんですけれども
この10日間パートナーと一緒に過ごしていました
その、楽しくすごく幸せな時間の中で
一つ、すごく大切だなぁと思ったことがあったので、シェアをさせてください。
私はハイリーセンシティブパーソンと言われる、いわゆる HSP に分類されるんですけれども
HSP の人達にとって
自分だけの時間
っていうのは本当に本当に大切なもので
私もこの十日間の中ですごく
その自分の時間というものを求めていました
私の場合は、ですけれども、
誰かと一緒にいると
その人の求めだったり、価値観、どういうことを感じて、考えているのか、っていうところに同調する癖があります
そういう『習慣』とも言えるかもしれないし、そういうタイプ、、、『共感しやすいタイプ』と言うこともできるかもしれません
自分のそういう性質自体は悪いものだと思ってはいないんですけれども、
ただその性質を持った状態で時間を過ごしていると、
段々と自分が何を欲していて、何が必要なのか、あるいは考えてるのか、感じてるのかを
キャッチするのが難しくなってきます
そういうことも踏まえて、自分一人だけの時間をたっぷりと贅沢にとってあげることは
パートナーにとっても大切なことなのかな(=ご機嫌なわたしでいられる、という意味で、パートナーにも影響を及ぼしますよね)と思っています